Bonne journée, photo challenge

Lens-Artists Challenge #293: Water in Motion


Oops, I have just deleted completely some pictures about water and what’s more I have no opportunity to take pictures this week. In such case usually I decide to not participate in a challenge but I may be abscent also next week. After, wondering this and that, eventually, here’s mine.
Under dark sky, just next to dark water, hearing low sound of wind, and thinking about far place, I was looking at a motion of water. It was not a cheerful moment but definitely beautiful. The rhythm of water was simple and it drew a white line to separate my place from the sea.

Lens-Artists Challenge #293: Water in Motion


Perhaps, it would be better to add a cheerful moment at the end of this post. It was take at Tokyo Disney Resort.

Bonne journée

moment


 人の習慣には慣性力が働くものだと思うようになった。
 これまでずっとそうしてきたから止められないという事もあれば、止めたいなんて考えた事もないという事もあるだろう。とかく人は習慣をやめないものだ。やめないから習慣というのだなんて考えたら身も蓋もない。多くの習慣には止めるきっかけなんていくらでもあったはずなのだ。
 人の想像力なんて高が知れているから、自分が経験した事しか見えないという人としての限界も習慣の慣性力を後押しする。ひょっとしたら、人間もAIもさして違いはしないのかも知れない。AIに習慣などありはしないが、たくさんのデータという経験則から答えを出しているAIは、実際は何も生み出しはしない。人の経験だって同じこと。発明だって経験の中から勝手にいつもと違う例外を作り出している程度であって、AIにも例外を作り出すことができたら人と変わりはしない。

 きっと状況が変わっても続く習慣は、習慣の本質的な性質なのであって、ある日いつのまにかその慣性力がなくなった時、それを思い出と言うようになるに違いない。

 iPhone以前は誰もが「ソフトウェア・キーボードなんて使えない」とあれだけ言ってたはずではないか。押した気がしないガラスの板はハードキーの代わりにならないと。そう言っていたのはたった15年前の事なのだ。それなのに、今では誰もがキータッチの良さよりもスクリーンのガラスについた脂の方を気にしている。「あー、思い出した。Blackberryだよ。」とか「いつもテンキーを連打してたよね。」なんて思い出は、慣性力が尽きたところにあるのだ。

 少し前に紙のグラビア雑誌をピンチアウトする赤ちゃんの動画が話題になった。赤ちゃんには習慣の慣性力が働いているわけではなく、デジタルネイティブの典型として、単に拡大はピンチアウトするものだと学習しているだけのことだ。
 ところが先日、スクリーン操作に慣性力が働いているパターンを発見した。その人はおそらく60代の男性で、スマートフォンの操作に苦労しているような風ではなく、むしろSNSなどを使って新しい情報を得ているようなごく普通のサラリーマンのようであった。周囲のサラリーマンと何ひとつ違うわけでもなく、あえて言うならノータイの開襟シャツに多少野暮ったいブルゾンを羽織っているあたりが、どこか田舎風という程度だった。花粉症なのかウイルス対策なのか、しっかりとマスクをして、熱心にスマホを操作している。まったく普通の「おじさん」だった。ただ1点を除いては。
 その男性は、スクリーン操作をするたびに指を舐めるのだ。マスクを顎にずらし、指を舐めてスクリーンをめくる。そして再びマスクをかける。その一連の動作は素早く流れるようで、その人の手にもしスマホではなく紙の手帳や書籍があったなら、汚いなといった感想はあっても気にはしなかっただろう。だが、手にはスマホがあったのだ。きっと家で新聞を読む時も、仕事で紙の伝票を繰る時も、指を舐める癖があるに違いない。家族や同僚から止めるように言われていても、その習慣はやめられないのだ。だから慣性力はスマホであっても働いている。人間とはなんと愛らしい生き物なのか。

 そんなわけで、習慣とも慣性力とも無関係な写真であるが、無関係だろうがいい加減なボツネタだろうが慣性力が働いているので構わずポストする。弱々しい光で羽を乾かす鵜は、はて、何を考えているのか。

Bonne journée, photo challenge

Lens-Artists Challenge #291: Cityscapes


I’m not sure why they say Yokohama blue but surely it shall be blue, probably not because of color of water, color of sky, color of people nor color of culture, but Yokohama is. As usual, someone is joging at a park next to the bay. As usual, a lot of tourinsts are dis embarking from a cruise ship. As usual, people are visiting there for weekend shopping. Even after a hundred years, nothing has changed. One very small difference is that I am part of the city.

Lens-Artists Challenge #291: Cityscapes

Bonne journée

The STAR BAR


喉の奥に生ぬるい空気を感じながら、
突き刺さる塩辛い湿気に鼻を鳴らし、
ようやく明るさを増した朝一番の海へと腕を伸ばす。
昨夜の色とりどりの喧騒などなかったかのように
銀色のバーカウンターの窓はしっかりと閉じられ、
自分の靴がウッドデッキを擦る音がたったひとつのノイズ。
カラっと氷が動いたような気がしても、
それは昨日の記憶を置き忘れているというだけのこと。
日常に戻れば気づくこともない小さな記憶。

 自分らしからぬシャープな造形を撮りたくなることだってある。人の笑い声が溢れるランチタイムでも、華やかな夜のカクテルタイムでも、どちらでもない早朝のソリッドな時間。もちろん現実にはその場所に助けられているだけのことだけれど、そんなことは承知の上ということで、ご理解願いたい。

 この素敵な空間は、石垣島 フサキビーチリゾートホテル&ヴィラズ

Bonne journée, photo challenge

Lens-Artists Challenge #288: Window Shopping


日本語は下に Japanese text at bottom

The name of the shop was “Boutique Ephemer” and it seemed to be open for a limited time. There were signs all over the place asking you to feel free to enter, but for some reason I hesitated to go inside even though I had no plans to buy anything. The shop itself was decorated in Christmas-like colors, and just looking at it made me feel happy.
I’m a rather practical person and don’t mind window shopping at bakeries. In the end, I end up buying bread.

Lens-Artists Challenge #288: Window Sopping

(日本語訳)
そのお店の名前は「ブティック・エフェメール(儚いお店)」で、期間限定のようでした。どうぞご自由にお入りくださいといった言葉があちこちに書かれていたものの、何も買う予定がないと入りづらいものです。クリスマスみたいな華やかな店舗でした。どちらかといえば自分は現実派で、パン屋さんでもウィンドウ・ショッピングができてしまう方ですが、でも、結局はパンを買ってしまいます。