Bonne journée

Bonne journée (11)

20130216-004

寒いと熱いコーヒーが欲しくなる。夏でもホットコーヒーを飲みたいほうなので冬に限ったことではないが、寒い中で暖かくして飲むコーヒーは格別である。淹れたてのコーヒーの香りの甘さと苦味が一層強く感じる瞬間が心地よい。

グレイラインのバスに乗っていると、バスストップにあるコーヒーサービスで水筒サイズのカップにたっぷり補給するちゃっかり者を見かけたりするが、あれはコーヒーが妙に薄いからできるのだろう。フランスだと、特に注文をつけなければ濃くて香りの強いコーヒーが出てくる。もちろん量は少なめだ。だが、皆が濃いめのコーヒーが好きなのかと思いきや、そうでもないらしい。薄くしてくれと頼んだり、カフェインを抜いたデカフェを頼んだりする人も多い。大抵エスプレッソが置いてあるあたりは強いコーヒーが好きな人が多いということだろうが、もはやステレオタイプな見方なのだろう。シアトル系コーヒー店がほとんどないのはおそらく別な理由だろうが、従来型の見方は当てはまらないと考えた方が良さそうだ。ちなみに、コーヒーを最も飲む国はフィンランドだそうである。これまた、日本人が抱くイメージとは少し違うかもしれない。 Continue reading “Bonne journée (11)”

Bonne journée

Bonne journée (10)

20130203-00110回目の区切りの良い Bonne journée に悲しげな写真である。衰弱し枯死に至ると書かれグルグルと紐が巻かれた様子は、物悲しいという他人事のような感覚より、自らへの不安すら感じさせる。

樹木の寿命は、それが大きければ大きいほど無限のようにも感じてしまいがちだが、実際には意外に永くはない。森は大きくなった木々が朽ちて新たな若木が育つことで刷新されて行く。冬は終わりの季節であると同時に準備の期間だ。シデコブシの枝先には銀色の羽毛。春の気配がしてきた。

Bonne journée

Bonne journée (9)

20130112-002関東の冬は冷たく乾燥した冬である。乾燥しているがゆえに、時に、カミソリのような空気の痛みを感じることもある。パリもこの季節は同じような気温であるが、この乾いた感覚では異なっているという。1月にパリを訪ねたことはないが、少なくともフランスから日本に来た知人はそう感じるらしい。
そこに住んでいれば当たり前と感じることが、他の多くの場所ではそうでもない。フランス北西部ともなると結構雪が降るのだろうと聞くと、ほとんど積もったこともないし、そもそも降らないとも言う。ニースあたりだと冬も暖かいのかと聞くと、アルプスからの強風が冷たく、雪が降ることもあると言う。当たり前の感覚は、先入観も含んでいるというべきか。
乾燥した関東の風景のひとつに霜柱がある。繊細なガラス棒を束ねたような氷が朝日に輝く様子は美しい。子ども達にとっては、踏めば一瞬にして終わるはかない遊び道具でもある。
この見慣れた霜柱も気象学的には珍しい現象なのだそうである。大陸の冷え切った空気が海を越えて大量の水分を蓄え、日本列島の山で吹き上げられて雪を降らす。再び乾燥した空気は、関東平野を吹き抜け、冷たく乾いた空気が残される。しかし、砂漠と違って関東の肥沃な土地はたっぷりと水分を含み、この冷たい空気に覆われる。しかして、放射冷却で冷えた大地からは空に向かって水分が凍り、再び水分が吸い上げられ凍り、これを繰り返して輝く氷の柱が伸びていく。
20130112-001すなわち、大地は十分に潤っていなければならず、毛細管現象が起こるに十分な粒度と柔らかさが必要であり、そして凍ってはならないのである。氷点下の厳しい寒さの朝、凍らない大地から氷が成長するのである。
自然は時に難しい条件をいとも簡単に作り出す。

Bonne journée

Bonne Année

20130106-003困ったときの神頼みでもないだろうが、小学生の時以来の久しぶりの初詣は、予想以上の混雑で驚かされた。ここ数年、あまりよくないニュースが続いたからなのか、それとも手軽なレジャーなのか、はたまた信心深いひとが増えたのか。賑やかな地方の神社は、さながらバーゲンの人混みである。

20130106-001もはやひと時代昔と言うも憚られる過去のことではあるが、最後に訪ねたときは、賑やかではあっても出店が並ぶというほどでもなく、訪れた人一人ひとりに甘酒がふるまわれるのんびりした雰囲気だった。皆で火を囲み、温かいものを飲みながら暖をとった。それが今や長蛇の列である。いや、商業化し混雑した今を嘆いているのではない。この新年の賑わいに、これからの1年を期待したいのである。

Bonne Année!

Bonne journée

Bonne journée (8)

20121216-002新潟に暫く住んでいたことがあるからか、冬の海と言えばグレーというイメージから離れられない。雪が降り積もった海岸は、黒く沈み込んだ砂のグレーがくすんだ雪の白と曖昧な境界を成す。横浜のどこか華やかさも感じる降雪を無理に重ね合わせるよりも、落ち着いた愁いをイメージしたほうが、むしろ郷愁にも似た影の部分を感じて美しく思えるようでもある。海から吹きつける強風に傾いだ防砂林の松もそれを強調するかのようである。
とはいえ、そのような感覚は、春先には当てはまらない。新潟の春に降る雪は、厳しい季節が終る事を予感するための雪でもある。
20121216-001横浜の冬の海と言えば、特にクリスマスの頃であれば、煌びやかなイルミネーションや透明感の高い空との組み合わせでイメージするだろうか。夜の海に反射するビルの光が不安定に揺れ動くのも、中華街のランタンの赤い光と同じようにクリスマスの輝きのようにすら感じさえする。
その一方で、冬の朝の晴れ渡った空と海は、その境界を金属のような輝きで覆い隠し、ひたすら凍った青である。まして、凍えた水分を遥か北の山脈にふるい落とした風が吹きつける時、穏やかな時間が流れる海はそこにない。海は、春を迎えてようやく落ち着きを取り戻す。

20121216-004永遠の6月バハマの海は、3月であっても輝き続け、3月のコートダジュールは、凍ったアルプスから吹き下ろす強風も影を潜めて穏やかな陽射しに包まれる。南房総の3月は、さまさまな色に覆われた丘を越えて波音を遥かに感じ、沖縄は、夏の喧噪も遠い透明さをまだ守っている。まだ、12月だというのに3月の海を思うのは些か気が早いか。だから、12月の海は切なく美しい。

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