Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #234


 カメラってこんなに高かったかな?なんて最初に思ったのはほんの数年前だった。それがいつの間にか、カメラは高額商品だからなかなか買えないよねと、当たり前のように受け入れている。

 かつて関連業界の仕事をしていたから、スマートフォンのようなものを除く昔からあるカメラというものが、実はドル建てで価格が決まる、案外小さな市場の商品だということくらいは理解している。つまり、日本向けの商品ではなく全世界向けの商品であって、小さな市場を日本メーカー同士で喰いあっている世界である。

 そうした意味では、カメラが高額商品になったのではなく、日本の購買力が低下して日本人にとって高額になったのだと言える。実際のところ、世界の経済成長率は3%程度で推移してきたから、10年もすれば価格は4割近く上昇になる。10年前のカメラと現在の似たようなクラスのカメラを見れば、ドル建ての値段は確かにそうなっているし、為替レートを考えれば、今の高額なカメラは確かにリーズナブルな価格なのだ。これが、生活する上で必要なものなら多少は問題にもなったのだろうが、カメラは一部の人の商売道具ではあっても、ほとんどの人には必要のない贅沢品だから、案外誰も気にしていない。気にしているのは、カメラ好きだけだ。

 高額商品の典型である自動車を見れば、やはりかなり値上がりしているし、それに伴って売れ筋商品はどんどん小型化している。無理に買わない人も出てきたし、市場も縮小しているだろうことは想像できる。でも、文句を言いながらも、なんだかんだ自動車は買われている。ないと困る場合もあるからだ。必要ないのに少し大きな車を買っていた層が、よりコンパクトな車を求めているのだろう。

 そんなことをつらつらと考えていたら、ふと疑問が湧いてきた。カメラが買えた時代は、カメラで何をしていたのだろうと。

 その昔は、子供の成長記録は大きな理由のひとつだった。運動会に行けばカメラがずらりと並んだ時代もあったらしい。とった写真は印刷してアルバムにした。その後、SNSになったと言われるが、SNSで子供の成長記録をしているわけでもない。使われ方が違う。それなら子供の成長記録はどうなったのだろう。スマホで撮って、ちょっと誰かと共有したら、あとはストレージの肥やしになっているだけなのかも知れない。

 子供の成長記録なんて、カメラメーカーが作り出したもので、最初からそんなニーズはなかったのじゃないかとさえ思う。懐に少し余裕があって、良いカメラで良い写真を撮りたいから、ちょっと高いカメラを買うといった程度だったのではないかと。

 今は、カメラを使う仕事も様変わりしたそうだ。街の写真屋さんは徐々に減り、建設現場の記録もスマホで足りる。

 じゃあ、カメラって何?(あっ、花は関係ありません)