Bonne journée, Cross Cultural, Photo

旅の記憶(2)


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 小樽は実にまだ2度目だった。海に向かって滑り降りられる気持ちの良いスキー場があるのは知ってはいたが、スキーと言えばニセコや富良野に行ってしまって冬の小樽には縁がなかった。どうせなら北海道らしい場所で滑りたいという、風情も何もない決定がいつも優先していた。若かったのだ。
 たった一度の小樽を訪ねた前回は、旭川に行くついでの1日だけ遠回りだった。大して期待もせず、予備知識と言えば運河と北一硝子程度のままたどりついた小樽で、大いに驚かされることになる。石造りの強固な倉庫や日銀や三井などの重厚な金融機関の建造物が建ち並ぶ事に度肝を抜かれ、廃線となっていた旧国鉄手宮線に頭をぐるぐるさせて考えてみるのだが、知識も想像力も欠けていた。疲れ果てて入った喫茶店で店主がいろいろ説明してくれたが、あまり覚えていない。記憶として繋ぎ合わせるだけの力はまだなかったのだろう。喫茶店のカウンター席で古いフィルムカメラを置いて周囲を見まわせば、店主はこう言うのだった。
「とてもきれいな街でしょ。古いカメラを大事に使ってるのを見たら話がしたくなっちゃった。でもね、ファインダーを覗いて見ると、案外良い景色ってないでしょう。そういうもんだよね。お店の中は自由に撮って良いよ。あぁ、でも僕は撮らないで。流れ者だから。いつ写真見られちゃうか分かんないから。」
 その喫茶店がどこで、今もあるのか分からない。あっても名前が思い出せないし、今時だから石蔵カフェなんて呼ばれているかもしれなかった。
 酷い雨もほぼ上がって、時々明るい空も見えていた。雨粒が時々フロントガラスに当たって小さな虫のように跳ね回ることがあっても、ずっと振り続けることはもうなかったし、なによりも雷鳴が響くこともなくなっていた。朝里ICという案内がまもなく到着を告げた。僅か1時間という通勤とさして違いが無いはずの移動は、雲を迂回し損ねた小さな飛行機に乗ってしまったような、少し緊張感があってワクワクするアトラクションとなった。
 ホテルに車を停めて雨上がりのフレッシュな空気を吸いに歩き出した頃には、忘れかけた運河の景色を思い出そうか、それともおいしいものでも探そうかと、曇り空などすっかり忘れて華やかな気分にすらなっていた。それが旅というものだ。だから、再びポツポツと落ち始めた小雨などまったく気にならなかった。どこかで警笛が鳴り、寿司食べよという声が聞こえた。さすがに小雨とはいえ、はっきりと分かるほどに降り始めた雨に折りたたみ傘を開けば、千歳の豪雨ですっかり雨のしみ込んだ布が貼り付き、まだら模様のシミが手に重さを感じさせた。
 ノスタルジックな小樽をふらふらと歩きながら、気になっていた革製品のお店のドアを開けた頃には、歩き始めてすでに2時間ほど経っていた。街が特段広いわけではない。むしろこんなコンパクトな街に大手金融機関のビルや運輸会社の大型倉庫が立ち並ぶということに驚きを感じるような凝縮されたところである。それでも街をくまなく歩こうと思えば、それ相当の時間がかかるには違いなかった。
 雨上がりというにはまだ湿っぽく、時折降り出す小雨が傘に当たって独り言のような小さな音を立てていた。あちこちで気になるお店に立ち寄りながらのそぞろ歩きであっても、そろそろ傘を閉じて、湿った首筋の汗とも湿気ともつかないべたっとした空気を取り払っても良い時間だ。
 革製品を売るその店の中に入れば、エアコンディショナーの幾分乾いた空気が微かに流れ続けていた。馬具を作る歴史的な背景があったからとは言え、革製品に飛び抜けたアドバンテージがある地域というものでもなく、今時はエシカルであることが先に来る時代だから、無駄に廃棄されるものを使うといった説明がつきまとう。それでもそんな説明よりも並べられた皮革製品が輝いていた。
 歩いて来た道は、大雨の影響なのか薄汚れていたから、いっそうきらびやかな灯りで照らされた店内が美しく見えた。街の生活の中心部は坂の上にあって、歩いて来た道は、ある意味観光の路みたいな場所だった。だからなおのこと、狭い路上に溜まった砂利や水が目についたのだろう。記憶にある小樽は晴れてキラキラとした活気のある観光地だった。それが、おそらくは豪雨により湿って薄汚れた砂利の流れ着いた街になったのだろう。きっと晴れたらまた美しくなるはずだ。
「雨が結構降ったんですか。」
そうお店の人に聞くと、意外な返事が返って来た。
「雨どころか水が出てね。午前中は川みたいになってたんですよ。この道がこんなに冠水したことなんてはじめてですね。うちは入り口が上がってるから大丈夫だと思ったんだけど、水がギリギリのところまで来ました。あっちの方の店は床上まででね。もう大変でした。」
 そう言えば、と思い出した。いくつかの店舗で入り口をモップで掃除したり、マットを水で洗ったりしていたのだ。あれは浸水した店先の後始末だったのだろう。相当大変だったろうと想像するが、そんな様子は微塵も見せず、いつものようにお店を開けていたのだ。エアコンの効いた店舗の中から外を見ながら、明日は晴れるといいなと純粋に思ったのだった。

来週に続く

2 thoughts on “旅の記憶(2)”

  1. こんばんは
    あの日の小樽は飴が酷く
    道路や商店街等が被害を(TVニュースで)
    その喫茶店に又何気なく出会ったら・・・・

    1. その前に小樽に行ったのはもう遠い昔。でも、今回も変わらず素敵な街でした。雨の被害も少なからずあったようですが、影響が長引かなくて良かったです。

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