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(Floral) Friday Fragments #260


 咲きそろっているのが愛らしくて、つい車を止めて写真を撮りにいったのだが、ソフトフォーカス気味に写した写真をみたら、皆がこちらを見ているような気がしてきて何だか落ち着かない。ディズニー映画やパークでお目にかかる歌う花って、こういうことなのかと考えた。

 若い頃は動物でもない植物が、口でもない花弁を開いて歌い出すという表現が今ひとつ理解できなかったが、歳を重ねてみれば、花が歌って見えるというのを受け入れられてしまうのも不思議なものだ。それだけ、子供のような頭に戻ってきたのか、さまざまなものを受け止めるだけの余裕ができたのか、あるいは単純に興味を持つものが少なくなって、細部を受け入れるようになったのか。少なくとも、天真爛漫に物事を見られるほどは歳をとっていないし、そもそも法的にもまだまだ高齢者ではないので、それだけ許容範囲が広がったのだろうとポジティブに受け取った。

 とはいえ、いわゆる若者という部類ではないことは認めなければならない。だって、上みたいな写真をわざわざ撮ってしまうのだから。

 先日、知人がSNSでアニメーションを紹介しているのを読んで、少しやりとりした。その方に迷惑をかけるかもしれないので、そのやりとりについては書かないが、要は、自分がマンガというものを受け付けないという点がやりとりの背景にある。有名なマンガとかアニメーション作品というものがあるが、マンガ雑誌のようなものに連載される作品は、読んでもほとんど頭に入らない。それが動画として動きを持つと多少は分かるが、すぐに飽きてしまって最後まで見られないのである。

 一枚一枚の絵としてなら、「ああ、この絵は面白いな」とかいった感想はある。AKIRAのキービジュアルを見て、「アメコミみたいな絵なのに細かいな」なんて思ったりもする。でも、読んでみろと言われて借りた単行本には、何が書いてるのかよくわからない。だから、学生時代に漫画を読み耽ったなどという経験もない。そう考えると、若くないというよりは、マンガの読解力がないのだろう。もしかしたら、さらに歳を重ねると読めるようになるのか、それとも、脳の柔軟さが欠けてきて、ますます読めなくなるのか、どちらなんだろう。どうでも良い話なのだが、写真を見ながらくだらないことを考えたのだった。

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(Floral) Friday Fragments #259


 北風が冷たかろうが、ようやく寒中から立春。これまでは気温も底に向かって低下する側だったけれど、これからは上昇局面。元気出して行きましょう。積分したらプラスですよ(って、ちょっと何言ってるのかわからない)。

 このところ、仕事の関係で久しぶりにベクトルとか行列とかを計算している。この手の計算は、得意だろうか苦手だろうが、どちらにしても嫌いという人が必ずいる分野なので、深くは立ち入らないことにしておく。

w=(X𝖳X+aI)𝟣X𝖳yw=(X^\mathsf{T}X+aI)^\mathsf{-1}X^\mathsf{T}y

こんなやつだが、見ればわかる人には分かる「ああ、なるほどね。そんなことしているのね。」という類の仕事だ。(WordpressでLaTeXが使えるとは。知らなかった。)

 で、そんなことはどうでも良いのだが、自分も若くないので、もうすっかり転置行列って何?くらいに数学を忘れているし、これが書いてある論文の中に出てくる英単語が思い出せなくなったりするのはもはや日常茶飯事になってしまった。こんなネガティヴな文脈で日常茶飯事なんて言葉が適切かどうかわからないけれど、思い悩むようなことはないくらいに当たり前のことなのだ。

 ひとつ大きなアドバンテージは、そうは言っても、忘れようが何しようが、一向に気に留めないということだ。「忘れちゃった。ま、いっか。」とニコニコしていられるのだ。しかも大抵は代替手段がある。他の言葉で言い換えたり、AIに頼ることなく数式を理解したり、抜け道を探したり、上手になったものである。

 そんなわけで、立春なのだ(関係ないか?)。菜の花だって咲き乱れている。写真は房総半島の先っぽで先週撮ったもの。黄色に輝く一面の菜の花を見ながら、立ち寄った道の駅で菜の花を買う。もちろん鑑賞のためではなく、食べるため。春を丸ごと食べる贅沢って良い。

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(Floral) Friday Fragments #258


 冬型の気圧配置が続くと、真っ先に指先の皮膚が荒れ、つい肩を強張らせるからか首筋が痛くなり、鼻の奥がむずむずしてくる。わかりきっているのに、やっぱり冬が来たんだなと馬鹿みたいに考える。キーボードを叩いていても、人差し指の先が痛いから速度が上がらない。

 そんな状況であったとしても、春らしい風景が徐々に見えてくる。それが1月の終わりというものだ。後半月もすれば冬の底は通りすぎ、ひと月後には春を感じてウキウキし始める。それが、実は自分が3月生まれだからという理由だったとしても、一向に構わない。だって、冬から春に変わるのだ。

 春の兆しといえば、昔は南房総を思い浮かべた。いや、今だって毎年のように訪ねたりもするが、あのキラキラした海岸線は、今は少々寂しくなっている。子供連れには定番だった南房パラダイスはとうに閉館し、観光花摘み園は、経営者の高齢化とともに徐々になくなりつつある。もちろん、まだまだやっている畑もたくさんあるが、毎年どこかが閉鎖されているのもまた事実である。
「ええ?そんな少しでいいの?もっと摘んだら?じゃあ、800円ね。これもおまけしておくから。」
気づけば千円で大きな花束を抱えている。そんなお楽しみは、今後も減っていくのかも知れない。

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(Floral) Friday Fragments #257


 久しぶり(と言うほど久しぶりでもないが)に関東平野のど真ん中を車で走っていたら、夕陽が地平線に沈んでいった。幹線道路を走っているとビルも多くてなかなか気がつかないが、関東平野の平坦ぶりは、田畑の広がる田舎道を走っていると否が応でも感じられるようになる。何もないなんて感じにはならない。遠く集落も見えるし、電線が連なっているのも見える。それでも、山も高いビルもほとんど見えないから、平らであることはよく分かる。
 何しろ車で走っているので写真は撮りようがないのだが、途中で休んだ場所から撮った夕日の写真は、どこかサバンナの夕暮れみたいになった。本当は広がる平野の写真を載せたいところだが、残念ながら写真を撮るために停車できる場所はほとんどなかった。コンビニの駐車場に停めれば周囲には建物があるし、路側帯に停めるのは危険で身勝手な行為である。想像してもらう以外にない。(写真の下に続く)


 そういえば、移動中にひと休みしていたら、ショートメッセージにauからの「メッセージインフォ」なるものが届いた。iPhoneユーザなので使っているのはiMessageなのだが、そう言えばrcsをサポートすると言うメールが来ていたなと思い出した。メッセージが暗号化されない上に、WhatsAppやLINEが普及した今使う理由もなさそうなのだが、auは企業に売り込みたいのだろうなとぼんやり思った。
 少々理解できないのは、読む気が起きないようなメールで勝手に追加する企業姿勢の方である。セキュリティの問題が残っているのだから、もっとしっかり説明しても良さそうなものだが、案外いい加減だ。WhatsAppを使っているからrcsを使う理由もないのだが、様子を見ながらどうするか決めるしかない。
 そのWhatsAppだって、WhastAppなる怪しいところが勝手にメッセージを送りつけてくる。やれやれ、面倒な世の中になった。

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(Floral) Friday Fragments #256


 最近、気が短いらしい。色々な人が言い方変えて指摘する。
 やれ、文句が多い、やれ、ケンカっ早い、やれ、少しは我慢しろ。いやはや、そんなに言われるなんて申し訳ない。きっと相当迷惑をかけているのだ。

 若い頃は確かにそうだった。やれると分かっている事をいつまでもやらないのが大嫌いなのだ。問題があればとことん解決策を探す。だからやらない奴がいるとすぐにケンカした。
 ひとりなら自分の責任だから自分で自分を怒っていればよかったのだが、仕事となると結局はチームプレイ。やるべき事をやらずに悩んでいるの輩がいるのが気に入らなかったのだ。

 人間は誰だって間違う。仕事の早い遅いもある。苦手な事だってある。やってみたら大失敗したなんて当たり前だ。だが、やらないというのは許せない性分だった。苦手なのにやってみたら失敗したというなら喜んで助けるが、何もしないから失敗もしないという感覚は、どうにも許せなかった。

 これが年齢を重ねるとそんなふうに思わなくなる。というか、他人は他人、それぞれの感覚があると理解できるようになるのだろう。仕方がないなと割り切れるとようになる。

 ところが、最近は、再び「やらない」ことにイライラするようになったらしいのだ。原因の半分は分かっている。最近関わるようになった人に、やらずに待つタイプが多くなったのだ。その上、代わりに仕事をすると、「早すぎる」と叱られる。
 でも、それはイライラするきっかけでしかないと自分では分かっている。きっと別な理由があるのだ。年齢かもしれないし、寒さなのかもしれない。ともかく自分が再び短気になったらしいと理解することが第一歩。

 人それぞれ多様だから世界は面白い。違うからこそイライラするのだが、違うからこそ面白いのだ。誰にだって長所も短所もあって、その判断基準もそれぞれ。それで良いのだ。
 なんて、思えるようになったのはひとつの進歩でもある。

 でもなあ、
 いやいや、冷静になれ。自分。
 自分の思ったようにどんどん進めて、世界を変えようとしているヤツみたいになって良いのか?
 いや、自分が何したって世界は変わらん。

 そんなくだらない事を考える新年なのだった。
 写真はもちろん、反省の白である。