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(Floral) Friday Fragments #257


 久しぶり(と言うほど久しぶりでもないが)に関東平野のど真ん中を車で走っていたら、夕陽が地平線に沈んでいった。幹線道路を走っているとビルも多くてなかなか気がつかないが、関東平野の平坦ぶりは、田畑の広がる田舎道を走っていると否が応でも感じられるようになる。何もないなんて感じにはならない。遠く集落も見えるし、電線が連なっているのも見える。それでも、山も高いビルもほとんど見えないから、平らであることはよく分かる。
 何しろ車で走っているので写真は撮りようがないのだが、途中で休んだ場所から撮った夕日の写真は、どこかサバンナの夕暮れみたいになった。本当は広がる平野の写真を載せたいところだが、残念ながら写真を撮るために停車できる場所はほとんどなかった。コンビニの駐車場に停めれば周囲には建物があるし、路側帯に停めるのは危険で身勝手な行為である。想像してもらう以外にない。(写真の下に続く)


 そういえば、移動中にひと休みしていたら、ショートメッセージにauからの「メッセージインフォ」なるものが届いた。iPhoneユーザなので使っているのはiMessageなのだが、そう言えばrcsをサポートすると言うメールが来ていたなと思い出した。メッセージが暗号化されない上に、WhatsAppやLINEが普及した今使う理由もなさそうなのだが、auは企業に売り込みたいのだろうなとぼんやり思った。
 少々理解できないのは、読む気が起きないようなメールで勝手に追加する企業姿勢の方である。セキュリティの問題が残っているのだから、もっとしっかり説明しても良さそうなものだが、案外いい加減だ。WhatsAppを使っているからrcsを使う理由もないのだが、様子を見ながらどうするか決めるしかない。
 そのWhatsAppだって、WhastAppなる怪しいところが勝手にメッセージを送りつけてくる。やれやれ、面倒な世の中になった。

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(Floral) Friday Fragments #256


 最近、気が短いらしい。色々な人が言い方変えて指摘する。
 やれ、文句が多い、やれ、ケンカっ早い、やれ、少しは我慢しろ。いやはや、そんなに言われるなんて申し訳ない。きっと相当迷惑をかけているのだ。

 若い頃は確かにそうだった。やれると分かっている事をいつまでもやらないのが大嫌いなのだ。問題があればとことん解決策を探す。だからやらない奴がいるとすぐにケンカした。
 ひとりなら自分の責任だから自分で自分を怒っていればよかったのだが、仕事となると結局はチームプレイ。やるべき事をやらずに悩んでいるの輩がいるのが気に入らなかったのだ。

 人間は誰だって間違う。仕事の早い遅いもある。苦手な事だってある。やってみたら大失敗したなんて当たり前だ。だが、やらないというのは許せない性分だった。苦手なのにやってみたら失敗したというなら喜んで助けるが、何もしないから失敗もしないという感覚は、どうにも許せなかった。

 これが年齢を重ねるとそんなふうに思わなくなる。というか、他人は他人、それぞれの感覚があると理解できるようになるのだろう。仕方がないなと割り切れるとようになる。

 ところが、最近は、再び「やらない」ことにイライラするようになったらしいのだ。原因の半分は分かっている。最近関わるようになった人に、やらずに待つタイプが多くなったのだ。その上、代わりに仕事をすると、「早すぎる」と叱られる。
 でも、それはイライラするきっかけでしかないと自分では分かっている。きっと別な理由があるのだ。年齢かもしれないし、寒さなのかもしれない。ともかく自分が再び短気になったらしいと理解することが第一歩。

 人それぞれ多様だから世界は面白い。違うからこそイライラするのだが、違うからこそ面白いのだ。誰にだって長所も短所もあって、その判断基準もそれぞれ。それで良いのだ。
 なんて、思えるようになったのはひとつの進歩でもある。

 でもなあ、
 いやいや、冷静になれ。自分。
 自分の思ったようにどんどん進めて、世界を変えようとしているヤツみたいになって良いのか?
 いや、自分が何したって世界は変わらん。

 そんなくだらない事を考える新年なのだった。
 写真はもちろん、反省の白である。

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(Floral) Friday Fragments #255


 小さなてんとう虫が独り占めにするほど小さな花が、冷たい風にカサカサと揺れる。冬はこれからが本番だということをすっかり忘れていた1月の初め、それでも横浜には春の気配がする。
 ため息をつくことにすっかり慣れてしまったのは、歳をとったせい。年初から夢を描かなくなったのは、物事を知り過ぎてしまったせい。何もしない毎日にてんとう虫を見つけて嬉しくなるのは、年月を重ねたせい。

 まだまだ序の口。これからが楽しい。たぶん。

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(Floral) Friday Fragments #254


 おめでたい色といえば紅白。そんな写真が見当たらなかったので、こちらで代用です。
 門松の写真くらいすぐ撮れるだろうなんてお叱りを受けそうですが、今年はあまり予定もなく、案外出かけるのが億劫なのです。そんなわけで、

 どうして新年がおめでたいのだろう、なんて、またロクでもないことを考えています。
「そういえば子供の頃に「年神様」が来ると聞いたような気がする」なんて思い出すのですが、どうも記憶が怪しい。でも、お正月には神様が来るから正月飾りをして、お餅を用意し、御神酒を備えるのという記憶だけはあります。
 正直にいえば、子供の頃に田舎でそういった事を言われはしましたが、今もその伝統を守っているわけでもありません。多少は鏡餅を用意したりはするものの、子供の頃の記憶はもっと色々作法があったのです。

 伝統が失われることには多少の喪失感というか、後ろめたさというか、ちょっと残念な感覚があります。でも、あけましておめでとうございますなんて挨拶をしても、何がめでたいのかよく分かっていないのですから、今更感がないともいえません。

 ひとつ不思議な符合に触れさせてください。ひとつ前のポストの写真はフランスのお正月の写真でした。ここにも再録しておきます。

 クリスマスのお祝いは12/25の前夜から始まって1/6の公現祭まで続きます。一時期住んでいたブルターニュはカソリックの強い地域で、この12日間はクリスマスツリーも片付けません。つまり、その期間に年末年始の現代的なお祝いも入っています。花火が打ち上げられ、誰もが深夜まで新年を祝うのです。除夜の鐘を聞いて初詣に行くような物です。
 そして、フランスで少しばかり伝統的な風習のひとつが、大晦日に写真のような正月飾りをして、新年を迎えるという物でです。その正月飾りはヤドリギ。このヤドリギの下では、誰にでもキスをして良いことになっています。
 年末には、その正月飾りが街のあちこちで売られています。どの家でもやっているというわけではありませんが、正月飾りはちゃんとあって、なんだか日本と似ているではありませんか。しかも赤い実までついている。

 やれやれ、気がつけば、1/2だっていうのにまたもウダウダ書いています。このブログも変わらないということです。
 皆様、今年もよろしくお願いいたします。

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(Floral) Friday Fragments #253


ふたたび、回転木馬のような目まぐるしい一年が終わろうとしています。
きっとこの目まぐるしさはずっと続くのでしょう。それでも、新しい一年は必ず始まります。そう思うと、どこか安心します。
やってくる新しい一年が皆様にとって素晴らしい一年となりますよう、お祈り申し上げます。