Cross Cultural

huile d’olive オリーブ・オイル

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フランス料理と言うとワインやフォアグラなどが真っ先に思い浮かぶところだろう。あるいはブイヤベースのような名物料理かもしれないし、オマール海老やトリュフといった海や山の食材かもしれない。個人的には、チーズやオリーブオイルもイメージが強い。だが、実際のところ、日本でも地域によって味が違うように、フランスでくくるのは少々乱暴である。どもそもドイツワイン好きがいたり、チーズはスイスだとかオランダだとかと言って譲らない人がいるように、ヨーロッパは広い地域に同じ素材が緩やかに広がっていて、それぞれに特徴がある。

遠く日本にいてフランスを思うと、ヨーロッパの西の方と十把一絡げにしてしまうのは致し方ないところだろう。フランス人が日本を見て中国の右のあたりとイメージするのと同じである。それを聞いて腹を立てるひともいるだろうが、フランス人も同じ気持ちに違いない。あるブルターニュの人が、日本人から

「ああ、ワインが美味しいところですよね。」

と言われてがっかりしたと聞いたことがあるが、気持ちがわからないでもない。確かにブルターニュブルゴーニュの場所を地図で示せと言われても平均的な日本人には難しい。それでも、川崎に住む人が

「ああ、バイクを作ってる街ですね。」

と言われたり、鎌倉に住む人が

「行ったことがあります。鹿のたくさんいる公園があるところですよね。」

と言われたりすれば、がっかりするに違いない。 Continue reading “huile d’olive オリーブ・オイル”

Cross Cultural

le carrousel

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ヨーロッパの街には広場が多い。旧市街の狭い街並みを抜けるといきなり視界が開け、石畳の賑やかな空間が現れたり、新しい街並みが伝統的な様式で広場を備えていたり、生活の中で重要な場所となっている。オープンカフェでくつろぐ人や古本を物色している人を見ていると、そんな環境が羨ましいと思うと同時に、実は、街には必要な機能なのではないかと感じてくる。ある時には、やけに小さなハープを奏でている若い人がいて、ストリートミュージシャンもヨーロッパだとこうなるのかと妙に感心したりもしたが、聞いたところ、地元に昔からある伝統楽器で伝統音楽を伝えるグループの練習ということだった。日本だったら、さしずめ、なんとか太鼓の保存会といったところか。もちろん、若い人はロックだったりするのが普通だろうが、そういったエネルギー系の音楽は、夜遅くなってからがメインである。 Continue reading “le carrousel”

Cross Cultural

誰か落としませんでしたか

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ずいぶんと昔のことだが、チューリッヒから中東経由で東京に戻ったことがある。いわゆる「南回り」である。多少時間がかかるとはいっても直行便の10倍かかるというわけでもない。途中のトランジットを楽しんだ上に安いのだから、特に急ぐ旅でなければ、選択肢にいれても良い。
その時のスチュワーデスは、英語、フランス語、韓国語、日本語の4か国語を話したように記憶している。韓国語もフランス語もわからない私は、もっぱら通じない英語で苦労をしたことが妙に印象に残っている。隣の乗客は、アメリカ在住の南イエメン人だった。確か、南部の何処かの州だったと思うが、そこからニューヨーク経由でヨーロッパの何処かに飛んで、さらにチューリッヒに飛び、いよいよ中東まで来たところだとしみじみと語っていた。長い道程であったが、実家までもう少しのところまで来たと。地球儀を眺めれば確かにもうすぐだが、これからもう一本乗り継ぐとかで、相当疲れた様子だった。

正確には、南イエメンという国は、現在存在しない。20年ほど前にもうひとつのイエメンと統一され、最終的にイエメン共和国となった。統一後も内戦があったと聞く。今はどんな国となっているのか、接点もなくまったく知らないが、隣り合わせたイエメン人がとても嬉しそうにしていたところをみると、きっと素晴らしい故郷なのだろう。もちろん、何もかもがバラ色などという事はないのが常である。彼は、搭乗時に預けた乾電池のことをしきりに気にしていた。手にいれにくいのだという。時代も代わり、今はもうそんなこともないのかもしれないが、少なくとも当時は電池を無くしたくないということだった。 Continue reading “誰か落としませんでしたか”

Cross Cultural

Rolling Takeoff

20130126-001カナディアンロッキー観光の拠点、バンフまでは、カルガリー空港からグレイラインのバスで2時間ほどである。カルガリーを出てまもなく、すでに石油の掘削ポンプ以外ほとんど人工物を見なくなっていた風景は、さらにキャンモアの手前あたりまでくると、完全に期待する自然そのものとなる。トランスカナダハイウエイからバンフに曲がれば、賑やかな街にふと安心するほどである。
このハイウエイとバンフへの道が交差するそばに、かつて小さな空港があった。現在も緊急時は使えるという話も聞くが、元々単なる野原のような滑走路があっただけである。恐らくは、今では緊急時以外は使いたくないような状態に違いない。それでも20年ほど前は、少なくともある程度は整備されており、単発のプロペラ機が周囲の山をかすめながら、ゆらゆらと離発着するのを見ることが出来た。その意味では、いくら滑走路が整備されていても、当時でもあまり安心できる飛行場ではなかった可能性もある。何しろ周囲は写真で紹介されるような雄大な山々であり、はるかに銀色に輝く糸のような滝や静かにエメラルドの鏡となった湖を臨みながらの着陸である。谷間を駆け抜ける風が強まれば、いくら緑輝く夏であっても安心できそうにない。カルガリーの空港から100kmを少し超える程度だから30分もかからないだろうし、一度くらい観光で飛行機に乗ってみたかったような気もするが、自分で操縦出来たとしても降りるには勇気がいりそうである。

もちろん、飛行機を操縦したことなどないから、地上から見ての想像でしかない。だが、実は、何となく不安を感じるのにはもうひとつ別な理由がある。滑走路をエルクが歩いているのである。滑走路の周りに柵などないのだろう。プロペラ機がガタガタと地上を走っているというのに、エルクは悠々と横切って行く。着陸中にエルクが入ってきたらどうするのだろうか。皆目検討がつかない。エルクからすれば餌場を移動しているというのに、移動中にやかましい巨大な鳥が降りてくるのだから、どうしてくれるんだという気持ちは同じだろうが、彼らは恐らく人間の都合など理解していない。人間がエルクの都合を理解していないのとこれまた同じである。猫と自動車の関係みたいなものだろう。
日本に住む身からすればとても身近とは言えない飛行機が、それだけ特殊な自動車程度のものだという事なのかもしれない。 Continue reading “Rolling Takeoff”

Cross Cultural

仕事の話は通じても

たとえばフランス人と日本人が仕事で話をする時は、共通語は英語である場合が多い。大阪にしばらく住んでいたフランス人の知人は日本語に困らないから会話も日本語ということもあるが、それは稀なケースであろう。同様に、フランスに長く住んでいる日本人の知人はフランス語が普通に話せるから、フランス人と話す時はもちろんフランス語である。ところが、この中にフランス語がわからない(私のような)日本人がひとり入っただけで、(前者の例なら日本語がわからないフランス人がひとり入っただけで、)会話はとたんに停滞する事になる。会話に使う言語は分かる言語の最大公約数でなければならない。しかして、生粋のフランス人2人と日本人2人の4人のグループでの日本人同士の会話が英語だったりするという奇妙なことが起こる事になる。

いかにフランス語が得意な日本人であっても、流れ続ける言葉をリアルタイムで通訳する事は難しい。だからこそ、同時通訳という才能が職業として成立するのだろう。言語として一対一に対応しないだけでなく、両方の言語で会話を捉え、専門的な内容も含めてリアルタイムで通訳するのは神業に近い。国際公用語が存在するのは、実際的な事である。
フランス語も国連公用語だと記憶しているが、デファクトスタンダードとでも言うべきは英語である。英語であれば多くの国で教育体制が整い、普段使うことはなくても通じることが多い。英語を話したがらないと言われるフランスでさえ、今や英語だけで旅行ができる。特に観光地では、ほとんど困ることはない。聞けば小学生から学んでいると言うし、高校生ともなれば3か国語程度は話すのはめずらしくないらしい。だから若い人なら多くが英語を話す。
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