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(Floral) Friday Fragments #251


 これを花と言うのか?とお叱りを受けそうなのだが、そこはふたつの意味で開き直るのである。
 ひとつは、紫陽花の花の終わりの美しさはこうした茶色になったところにあると思っていると言う点である。枯れた花じゃないかと言われるかもしれないが、翌年の美しい花のために切られてしまう紫陽花の花が、実は枯れて朽ちる頃に妙な美しさを示すのだと本当に思っている。この微かに残った赤と乾燥した空気がマッチするのだ。だからつい探してしまう。
 もうひとつは、あまり書きたくないのだが、ずっとFloralと書いてきたこのシリーズも、もはや花だけではなくなっていて、冬はFloralではないテキストを書いていたという事実である。Floralは「花の」と言う意味であると同時に、「花柄の」とか「花のような」といった意味もある。
 えっ?やっぱり言い訳?はい、言い訳です。

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(Floral) Friday Fragments #250


 最近、どういうわけか、Web上で好みでもない動画を押し付けられる。それが普通のSNSや動画サイトの時もあれば、純粋な動画広告のこともある。大抵は、「XXXな人、もうやめて」とか、「実はこれ、まさかの」とか、「考えた人天才」とか、「知ってる?」とかテロップが出ていて、なにが楽しいのか分からないものが多い。共通しているのは、「あなた知らないでしょう?」という不思議な予定調和で、内容的にはよく知られたことであってもそれで釣れれば良いのだろう。
 広告なら分からないでもない。その広告を出しているWebサイトの運営者は、そうした広告で利益を上げている。収入もないのに巨大なトラフィック(通信)を支えることなどできない。よく分からないのは、明らかにアクセス数には無縁なはずのSNSのアカウントがそうした広告を真似しているケースである。将来的に何かで利益を上げることでも目指しているのだろうか、それともアクセス稼ぎ?
 じゃあ、普段はどんなコンテンツを見ているの?と聞かれると、答えに窮す。そういえば、あまり動画は見ていない。知人のフランス人も口を揃えて見ないという。見るとすればドキュメンタリーかしっかり作られた映画のようなコンテンツだ。だからNetflixみたいなところが強いんだろうな。それが今のところの結論である。きっと間違いだけれど。

 写真は三週ほど前に撮ったものである。赤くなった葉を背景に柔らかな花が咲き、オレンジ色の蝶がその花の上にいる。こんな写真面白いの?と聞かれそうだが、この色だけでもなんだか楽しい。その上、三週間もして別なことに気がついた。右の後翅の下に小さな虫がいるではないか。撮った時も、写真を見た時にも気づかず、今回、Blogにでも載せようかと思って見返して初めて気がついた。注意力不足にも程がある。

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(Floral) Friday Fragments #249


通勤列車のくすんだ床に貼り付くひしゃげた革靴
仕事に疲れた今日と明日の境をゴツゴツと突き上げる鉄の繋ぎ目
何でもないニュースに俯くシワだらけのワイシャツ
車内におちた金青色の秋の光の反射
思い出したやり残しの仕事
忘れてしまった14時の会話

壊された古屋のコンクリートのかけらに躓くスニーカー
いつまでも続く今日と一千年の未来をつなぐ秋草の匂い
さっきまで羽ばたいていた土鳩の輝く羽
空っぽの広場に浮かぶ黄金色の夕日
忘れてしまった友達のノート
思い出した明日の宿題

機械仕掛けの未来が轟々と音を立てて通り過ぎるのは、
星の名前を覚えることができた前世紀の思い込み。
ありもしない時間が転げ回るのをぼんやりと眺めるのは、
一体誰の、一体いつからの癖なのか。
青い満月に向かって櫂を漕ぐは、
夢見心地の昨日のことか、それとも終わりのことか。
少し欠けた明日の月から降り注ぐ星虫の夜。

 ようやく輝くような秋の色を感じることができて、乾燥した空気も悪くはないなと思っては見たものの、喉が痛い。やれやれ、風邪でも引いたか?なんて心配しながらひと月以上前に書いた詩などを。
 強制的に付き合わされる皆様、申し訳ない。自己満足だろうが、そういうBlogだったのでした。

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(Floral) Friday Fragments #248


 俯くサザンカを見ながら、そろそろストーブでも出すかなあなんて考えては見たものの、毎年同様に、ストーブを出すのが面倒だからつい先送りしてしまう。それでもまもなく欲しくなって、慌てて出すのが石油ストーブだ。

 今どき化石燃料というのも時代にそぐわないが、灯油は燃料を精製した残り滓みたいなものとも言うし(実際にはそうでもない)、電気は停電すれば使えないので、このところは必ず対流ストーブを持ち出している。まあ、言い訳みたいなものである。人間、時には言い訳がないと生きていけないこともある。

 先日所用があって北関東に出かける機会があった。観光地の駐車場に車を停めてひと休みをしたのだが、11月の前半だというのに、観光案内所は石油ストーブを焚いていた。北関東は朝晩が寒いのだ。それを見ながらやっぱりストーブ出しておかなきゃなあなんて考えた。

 かつては雪の降る地域に住んでいたこともあるので、石油ストーブは案外身近な存在である。割高じゃない?なんて知人にも言われるが、南関東で補助的に使うならそもそも使う絶対量が少ないから、さほど高い訳でもない。しかも、である。ヤカンを乗せておけば、お湯も沸くし、干し芋なんてのも温められる。えっ、そこが狙い?いやいや、時には言い訳が必要なのだ。

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(Floral) Friday Fragments #247


 立冬だというのに夏と秋の花が混在している写真はどうかと思ったが、冬の感覚がまだ分からない横浜なのである。先日は立葵が咲いているのを見て、どこか切ない気持ちになったのは、案外仕方ない感覚なのだ。(と言い訳する)

 このところ、なんだかんだと病院に縁があって、病院が苦手な私には、それだけで病気になってしまいそうな日々が続いている。付き添いもあれば、自分のこともある。とはいえ、調子が悪くて検査に行ったことも何度かあるものの、幸いなことにその度に案外なんでもない。医師に大学病院を勧められて行ったこともあるが、気にすることはないと言われる。脂質が多いので食事を改善しましょうとか、もっと筋肉をつけたほうが良いですよとか、色々言われて落ち込んだりする方がよほど堪えるのだ。それでも、問題ないと言われる方が良いことには間違いない。そもそもインフルエンザやコロナのワクチンを打つことすら苦手なのだ。先日は、看護師さんに
「ああ、白衣恐怖症ですね」
なんて笑われた。
「はい、深呼吸して」
はいはい、わかってます。

 コロナのワクチンは、1回を除いてフランスで受けた。フランスは、集団接種場をショッピングモールやパブリック・ホールなどに設置したから、気楽に予約して買い物ついでに打つようなことができた。とはいえ、最初のワクチンは勝手も分からないから、気楽にはいかない。そもそも、フランス人だってよく分からないのだ。「政府の発表によれば、六十歳未満は最終グループだから予約はもっと先らしい」なんて、その程度の情報しかないからフランス人を頼っても、さっぱり埒が開かない。まして、フランス国籍を持たない移民なのだ。その上、病院が苦手ときた。

 フランス人に手伝ってもらって、ようやく予約ができたのは、そうした特殊な事情の人のための公共施設だった。その予約をしてまもなく普通にフランス人同様に一般会場でできますよと連絡もあったのだが、もう予約はできていたからそのまま公共施設でのワクチン接種となった。しかし、これが大きな過ちだとすぐに悟ることになる。

 そもそも一般会場の方が早いというのもあるが、その特別な会場は、アストラゼネカのワクチンだったのだ。1回目の副反応は強いと聞いていたし、他に比べ血栓などの危険性も多少あるとも聞いていた。それでもそれがどういうことかは理解していたわけでもない。「フランス語の得意でないジャポネは副反応が出た時に対応が難しいだろうから、しっかり管理できるこの会場の方が良いだろう」そんな理由で決まったアストラゼネカだった。

 そして接種した4時間後のことである。高熱を発し、うんうん唸って呼吸もままならない強い副反応が始まった。ようやく38度まで下がったのが24時間後。罹患したのと変わらないと皆に馬鹿にされる始末である。聞いたところ、ほぼ同時期に接種したひとのほとんどは多少熱が出ただけだったという。やれやれ、だから苦手なんだって。

 さて、その後、2回目も同一ワクチンとのガイドラインがあったから、再びアストラゼネカだったのだが、さすがに2回目は38度程度で治まった。その後、3回目と4回目はモデルナ、5回目はファイザーと、なかなかの混合ぶりである。そんな話をすると、皆が言う。
「病院とか苦手じゃないんだねえ」
と。いや、そうじゃない。苦手だから慌てふためいて、かえって大変なことになる。

 やれやれ。そろそろ冷静にならないと、歳をとって大変なことになりそうだ。