Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #263


 沈丁花が甘い匂いを漂わせ、ミツマタが黄金に輝き、日当たりの良い場所の木蓮が早くも大胆な花弁を広げ始めた。カーテンを開けて外を眺めると、道を隔てた向かいの家の庭には、レモンのような透明感のあるミモザ。一気に春がきたらしい。
 散歩に出かけた公園で横浜寒緋桜を眺めていると、ヒヨドリが蜜を吸っている。ようやく冬も終わりそうだと気づいているのだろう。暖かな春なのだから、少しくらいのんびりすれば良いのに。なんて思うのは、人間だけなのかもしれない。やっときた春なのだから、きっとこれからが忙しいのだ。

Cross Cultural

壁打ち


 ペア・プログラミングなるものが流行ったことがあります。今でも使われているのかもしれませんが、最近はあまり聞かなくなったコンピュータ・プログラミングの手法のひとつです。基礎が身についている人にとっては費用対効果の著しく低い方法論で、やがて適切な場所に適切なタイミングで適用するように落ち着いたのでしょう。
 プログラミング経験がないと何を言っているのかわからないでしょうから、少し補足します。乱暴な言い方をすると、二人の組でひとつのプログラミングをするものです。プログラミングは元来孤独なもので、少し長い文章を書くのに似ています。二人でひとつの文章を書くのが難しいように、プログラミングも二人ではやりにくいのです。
 では、なぜ面倒だと分かっているのに二人でプログラミングするのかと言えば、自分の頭にある設計図を相手に伝える必要があるということにポイントがあります。クリアな設計図がなければ相手に伝えることはできません。ロジックが破綻していると、プログラムを書いて説明しているうちに矛盾や問題点に気付きます。聞いている側も理解しなければ続きを書けませんから、一所懸命に聞きます。理解しようとすればするほど、課題にも気付きます。課題でなくても、より効率的な方法を思いつく可能性もあります。そうやって、効率的で安全な間違いのないプログラミングができるのです。
 一説には、効率が15%低下する代わりに不具合も15%低下するとのこと。プログラムを書くよりも不具合を修正する方が工数がかかりますから、より効率的になると見ることもできます。
 でも、それって本当でしょうか?数字を前提抜きで見て良いのでしょうか?そうやって頭をクリアにする以外に方法はないのでしょうか?この二人のスキルレベルが同じだったら、より効率的な設計にはたどり着けないかもしれません。二人の工数を使うことに見合った結果となることも必要です。
 ペア・プログラミングはひとつの例ですが、最近流行りの「壁打ち」にも疑問を感じ始めます。仕事の一部の何かが出来上がったら、あるいは、なかなか解決できない課題にぶち当たったら、誰かを壁にして説明しながら整理する。そうやって得られた結果で再び思考を重ね次に進む。
 聞こえは良くても、そもそも最初から整理できていたら不要なプロセスです。途中で躓くということは、何か詰めきれていなかったことがあるのかもしれませんし、想定できない突発的な例外事項が発生したのかもしれません。仕事の進め方にきっと問題があるのです。仕事をするのに、リスク管理しないなんてことはありません。出張旅費の精算をするだけだって、領収書が揃っているかとか、精算する予定の時間に別件が入ったとしても間に合うかとか、そんなことは頭の中で考えています。
 アイデアを誰かに話してアドバイスをもらうと言うとしっかりプロセスを踏んでいるように感じますが、そうしたアクションは日常の中にあります。責任を持ってジョブを行う担当者が、事前に深く考え、調査し、整理してベストな解を出すのは当たり前です。事前に深く考えたつもりで自信がないなら、それは十分考えていないと言っているようなものです。その過程で、同僚に簡単に相談してみることは当然あるでしょう。でも、壁打ちなどと言ってプロセスに組み込んでいるなら、考え直したほうが良いかもしれません。それを日本では、根回しと言っています。
 しっかり考えて、会議の場で理路整然と説明する。答えは1か0。否定されたら再考するのです。ヨーロッパで仕事をしていたら、そんな癖がつきます。
 そうであれば、なぜ壁打ちなんてものが流行るのでしょうか。一つの答えはペア・プログラミングと同じです。一人でやることが当たり前のことに、一人では出来ない担当者がいるとすれば、アドバイスをするなり教育するなりが必要となります。ペア・プログラミングの背景には、水準の低い技術者のスキル向上や責任の分散があります。つまり、人を育てる+リスク分散する仕組みでもあるのです。
 壁打ちも同じ。ペアプログラミングは著しく効率が悪いと書きました。もちろん、それは、スキルが極めて高い場合の話です。壁打ちだって、スキルが十分高ければ、自分にとっても相手にとっても「ムダ」な時間となるのです。しかも、組織のスキルは向上しません。

 もう、反論したくてしょうがない人がいるだろうと思います。それはそれでOKです。ただ、こんなふうな見方でいる人も少なからずいます。
「で、あなたの意見はどうなんだ?アドバイスをもらってブラッシュアップするのは良いことだが、あなたはどんな夢を描いて、どれくらい自信をもってこれを提案しているのか?」
壁打ちしてもってきたアイデアがボロボロだったなんて極々普通にあるのです。

Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #262


以前にも書いたことがあるかもしれません。この公園の立札には、こう書いてあります。

ATTENTION 
BULBES
COLLECTION de NARCISSES

フランス語なのにほぼ英語。しかも、カタカナに書いても日本語として通じそうです。英語にするならこんな感じ。

Pay ATTENTION 
BULBS
NARCISSUS COLLECTION

きっと最初のAttentionの意味は、ご注目くださいという意図ではなく、ご注意くださいという警告ですから、英語のAttentionとは少し違います。なので、Payを添えてみました。また、球根の意味のBulbesは、英語なら最後のeが入りません。カタカナだったら

アテンション
バルブ・コレクション・ド・ナルキッソス

としても良いかもしれません。ガーデニング好きな方なら、球根と言わずにバルブということもあるだろうと思います。だったらナルキッソスの球根コレクションという方が日本語的です。

この最後のナルキッソスは、もちろんナルシズムの語源となったスイセンの花の意味です。ナルキッソスは、ギリシャ神話の中で自分に見惚れて死に至ります。水面に映った自分にキスをしようとして死んだとか、見惚れて動けなくなって痩せ細って死んだとか、色々なストーリーがあるようですが、自惚れたことの代名詞になっています。

このナルキッソスに恋をしたのが森の妖精エコー(Echo)です。最高位の女神であるヘラの怒りを買い、他人の言葉を繰り返すことしかできなくなったエコーは、ナルキッソスに退屈だと飽きられてしまいます。こんなところにエコーの語源が出てくると、なんだかギリシャ神話も身近だなと思います。

フランスに限らず、ヨーロッパでは、立て看板のようなものは景観を壊すためあまり見かけません。珍しかったので写真に撮りましたが、手書きで味があるので、案外邪魔ではありませんね。

Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #261


 今週の話題は選挙。このBlogは本名で書いていないので、政治的立場に触れることはしないようにしています。匿名で政治的な表明を行うのは無責任ですし、そもそも読まれる方が楽しくないですから。
 というわけで、選挙と言ってもちょっと感じる日本人の態度の違和感の話です。いつもと違って、文体も変えました。多分、つまらない話題なので、読み飛ばしていただいて構いません。

 さて、そもそも「世界は」とか「日本は」とか書くほど世の中は画一的なものではないことは当たり前のことです。だから、日本は変だなんて書きません。でも、多分、読まれる方によってはそう感じる内容になっています。そう感じてしまう場合があることが、まさにその違和感の根源です。

 先日の選挙は、予想通りなのか、予想に反してなのか分かりませんが、自民党の歴史的勝利となりました。以前の民主党による政権交代と似た雰囲気も感じないでもありません。人それぞれの政治的立場もありますし、この結果がどんな影響として現れてくるかも現時点では分かりません。ひとつだけ、大きな変化があったという事だけは、おそらくは事実です。これだけ議席の様子が変わって、何もなかったねということはなさそうです。

 この結果を受けて、海外取引にも関わる仕事の現場で、為替レートがどうなるだろうという話題を振りました。
 輸入に関わる仕事であれば、現在の円安は致命的にもなりかねないレートになっています。たった5年前は125円だった1€が、今は180円となりました。10,000€の商品だったら、125万円を払っていたのが、今では180万円になっています。言い換えれば、もう5年も同じ水準の商品を買い続けているのに、55万円もの損失が出ることになります。その損失を徐々に値上げすることで凌いでいるのが現在の物価上昇と見ることもできます。
 円安が続くのか、円が元の水準に戻るのかは、大きな問題なのです。もう、ずっと円の価値は下がり続けています。円は世界的に見て相対的に弱くなっているわけで、選挙結果を受けてどうなるかの関心は、高くなっています。
 つまり、「今回の選挙の結果として、短期的に為替レートはどうなるんだろうね。」というのが話題の趣旨でした。

 その質問に対する回答はちょっと意外なものでした。「政治的な話題には触れるな。」というものだったのです。その背景には、積極財政だから円は弱含みかもしれないが、選挙結果に反するような趣旨の会話は相応しくないという雰囲気が強くありました。
 会話は、為替レートの話題であって、政治態度でもなんでもありません。でも、日本らしさなのか、どこかで少しでも政治にリンクする話題は避けたいという力が働くのだろうと思います。
 日本は、輸出入がなければ成り立たない国家です。少なくとも現時点では、避けようがありません。そうした輸出入という経済の話が、政治的態度と結び付けられて語られる雰囲気に、なんだか説明の難しい違和感を感じました。もちろん、今回が初めてではなく、この数年、ずっと感じてきた違和感でもあります。

 夫婦別姓やジェンダーの話がいつの間にか消えてしまった不思議な選挙でした。新しい価値観の話がいつの間にか昭和に戻った選挙だったのかなと思います。そんな古い価値観の戦いの中にポピュリズムが台頭した姿は、ある種、欧州の状況とも似たところがあります。
 でも、それ以上に経済の話を政治状況と重ね合わせてしまう雰囲気や、多様性の話を国際紛争と取り違えてしまう環境、そしてそうした会話を避けて忖度する社会環境には、不安を感じます。

 ここまで書いたことを読み返してみて、なんだかつまらない話題だったなと思います。でも、せっかく書いたので残す事にしました。
 海外と直接関わる仕事をしてきて感じる事には、比較的安全で快適な環境を日本社会に感じるということもあれば、相変わらず内向きで世界とリンクしていることを認識しない不安定な環境を日本社会に感じることもあります。たまには、そんな違和感について書いてみても良いかなと思ったのがこのポストの趣旨でした。

Cross Cultural, Photo

(Floral) Friday Fragments #260


 咲きそろっているのが愛らしくて、つい車を止めて写真を撮りにいったのだが、ソフトフォーカス気味に写した写真をみたら、皆がこちらを見ているような気がしてきて何だか落ち着かない。ディズニー映画やパークでお目にかかる歌う花って、こういうことなのかと考えた。

 若い頃は動物でもない植物が、口でもない花弁を開いて歌い出すという表現が今ひとつ理解できなかったが、歳を重ねてみれば、花が歌って見えるというのを受け入れられてしまうのも不思議なものだ。それだけ、子供のような頭に戻ってきたのか、さまざまなものを受け止めるだけの余裕ができたのか、あるいは単純に興味を持つものが少なくなって、細部を受け入れるようになったのか。少なくとも、天真爛漫に物事を見られるほどは歳をとっていないし、そもそも法的にもまだまだ高齢者ではないので、それだけ許容範囲が広がったのだろうとポジティブに受け取った。

 とはいえ、いわゆる若者という部類ではないことは認めなければならない。だって、上みたいな写真をわざわざ撮ってしまうのだから。

 先日、知人がSNSでアニメーションを紹介しているのを読んで、少しやりとりした。その方に迷惑をかけるかもしれないので、そのやりとりについては書かないが、要は、自分がマンガというものを受け付けないという点がやりとりの背景にある。有名なマンガとかアニメーション作品というものがあるが、マンガ雑誌のようなものに連載される作品は、読んでもほとんど頭に入らない。それが動画として動きを持つと多少は分かるが、すぐに飽きてしまって最後まで見られないのである。

 一枚一枚の絵としてなら、「ああ、この絵は面白いな」とかいった感想はある。AKIRAのキービジュアルを見て、「アメコミみたいな絵なのに細かいな」なんて思ったりもする。でも、読んでみろと言われて借りた単行本には、何が書いてるのかよくわからない。だから、学生時代に漫画を読み耽ったなどという経験もない。そう考えると、若くないというよりは、マンガの読解力がないのだろう。もしかしたら、さらに歳を重ねると読めるようになるのか、それとも、脳の柔軟さが欠けてきて、ますます読めなくなるのか、どちらなんだろう。どうでも良い話なのだが、写真を見ながらくだらないことを考えたのだった。