Bonne journée

バブルを追うな


 バブルは弾けかけていたが、誰もまだあまり気づいていなかった1989年。企業はバブル時期のような大規模新人採用をしたかと思えば、急に採用を控えてリストラもした。まだ、誰もが何が起きているかを理解してはいなかったのだ。

 学生も両極端で、高校生だというのにもう将来を憂いていた大人びたやつもいたし、やれポルシェを買ってもらっただの、賃貸アパートだと不安だと言ってマンションを買ってもらっただの、バブルを満喫していたやつもいた。パチンコ屋が開店だなんて訳の分からない理由で授業をサボっている大学生もいた。

 自分はと言えば、少し時代は降るが、だいぶ遅れてKOSSのヘッドホン(日本は1988年発売)を手に入れ、街中を爆音を聞きながら歩いていた。すでにバブルは弾けていて、そんなヘッドホンを使うのは時代遅れだったかも知れないが、憧れたのだ。ジャズやクラシックばかり聴いていたし、正直それには酷い音だったが、たまに聞くもはや懐メロのヴァンヘイレンにはピッタリだった。何よりも、ソニーのキンキンいうだけのヘッドホンよりずっと良かったし、何よりもカッコよかった。

 バブルが弾けたあと、急激に金が回らなくなったわけではない。今に比べればまだまだ色々やれていたエネルギーに溢れたバブル期には慣性力が働いていた。バブルのエネルギーは、馬鹿げたことにも、至極真面目なことにも振り向けられていた。「髪の長い女の子の尻を追い回してばかりいる」なんて言われたりもしたが、案外真面目なのがカッコよかったのは間違いない。なんでも余裕があって、目一杯真面目にやって、目一杯遊ぶ時代だったのだ。

 もちろん、不真面目な輩もたくさんいたし、マハラジャ東京(1985年頃)が流行りで、時給数万円の怪しいバイトも語られた時期でもある(らしい)。らしいとカッコ付きなのは、実際のところはよくは知らないからだ。調べたらそう書いてあった。ただ、そうした馬鹿げた部分が面白おかしく取り上げられているだけだということくらい子供心でも分かっていて、多くの人がかなり真面目に真剣に熱心に夢を見ていたことも間違いない。

 中央官僚がノーパンしゃぶしゃぶに行ったアホな時代と誤解されるが、あれはバブルが弾けた後の話だ(1998年)。援助交際が社会問題化したのも同じ頃。バブルなんて影も形もない。こうした話はバブルが弾けた後の時代が沈下していた時代の事である。かえって下品にも聞こえるが、今みたいに性に対して直接的な言い方もしない時代でもあった。

 この手の昔話を書くと、必ず言われることがある。
「あの時代にはインターネットなんて無かったでしょと。だから知らないだけ。金が自由に使えたバブル時代が真面目な時代な訳がない。」
まあそうかもしれない。でも、インターネットの時代を作った側(勝手に庶民にネットワークが降りてきたわけじゃない)から見れば、その通りでもあり、そうではないとも言える。

 たとえばこんな例がある。あの当時、最新のデバイスが欲しかったら実店舗に行って触らせてもらうしかなかった。伝説のWalkman(1979年)だって、世界最小と言われれば実物を見るしかなかったはずだ。お店に行って、実物を見て、パンフレットをもらって帰る。Sonyが一番だと思ったけれど、aiwaも良さそう。束になったパンフレットを見て、どれが良いかなと考える。

 これって、ネットワークがあろうがなかろうが同じなのだ。本屋さんで知人に教えてもらった本を片っ端から見てひとつふたつ選んで買うのと、Amazonのレビューを見ながらクリックする事になんの違いもない。ただひとつ大きな違いは時間軸だ。あっという間に買うものを選べる今と、何日もかかるバブル期とには、タイパどころかまるで違う時間が流れている。だから昔は忙しかった。

 そろそろ昔話はやめろと言われそうだがもうひとつ。

 今なら当たり前の海外旅行が自由にできるようになったのは、戦後かなり経ってからで、パスポートを取るのに銀行残高があることを証明しなくても良くなったのは、1988年だったか?当時の海外旅行は今よりずっと値段も高く、インターネットもないからエイビーロードという雑誌をめくって航空券を探し、旅行代理店まで足を運んでチケットを購入していた。まあなんと時間のかかることか。それでも、今と何ひとつ違わない。調べる時間(雑誌には虫眼鏡マークなんてない)と買う時間(何しろ安い代理店まで行くのに電車に乗るし、代理店も航空会社に電話する)を除いては。

 じゃあ、バブルが弾けて停滞した現在は以前と何が違うのか?

 直感的には何も違いはしない。マインドセットと経営者以外は変わらない。実際、2000年頃はバブルみたいなエネルギーが残っていた。その頃の若手だった自分がそう感じている。ただ、インターネットで時短が出来るようになって、努力する必要がなくなったような気はしている。真面目にコツコツやるのがカッコ悪くなってきたのだ。遠回りはカッコ悪く、だから学ばない。学ばないからやがて限界が来る。

 経営者だって、自分の時代に会社を良くする手っ取り早い手段を選ぶ。0から1を産む努力より、コストカットと株主配当だ。

 この見立てが正しい自信など微塵もない。客観的証拠など出せるわけもない。ただひたすら直感で言っているだけだ。でも、どこかで正しく見立てているような気もしている。100年もすれば、きっと答えが出るのだろう。

Bonne journée

燃え続ける巨星


燃え続ける巨星が新たな炎の触手を伸ばし、
身震いする冷え切った惑星が、
捻じ曲がった重力場にしがみつく。
太陽風に揺れるのは音のない明日。

星と星を繋ぐ宇宙航路は冬の影のように静まり返り、
首を捻って遠くを見つめる生物が、
真っ直ぐ突き刺さる闇を避けようとする。
深淵に落ち込むのは忘れっぽい明日。

ジャッジャッと響く玉砂利の重力が、
忘れられた三輪車の側を流れ落ち、
太陽熱に温められた足元で流れ止まる午後。
振り向けば笑みを返す若い僧侶が通り過ぎる。

古い木屏に小宇宙ができていた。落ち着かない仕事に向かう道すがらの出来事を記す。

Bonne journée

フランスの田舎


 お試しで運用しているNoteにアップした記事を再掲載しようかと思ったが、それでは面白くないので別記事である。もし暇があって、フランスに少し興味があって、著者をサポートしても良いかなと思う気持ちがあったら、無理は言わないからアクセスしてみていただきたい。

 そこで何を書いたかと言えば、ku:nel (クウネル)が、「なにしろ「フランスびいき♡」なもので」なんて特集を組んでいるというので、もっと田舎にも目を向けてよと愚痴っている。だから、読んでも得られるものはあまりない。申し訳ない。しかも、使っている写真はこの記事と全く同じである。やれやれ。

 フランスには住んでいたこともあるし、長年毎年のように仕事とプライベートで通っていたので思い入れはある。だからと言って、極端なフランス贔屓ではない。日本に住んでいたらぜひ見習いたいと思うこともたくさんあれば、あんな風になったらダメだと思うことも少なからずある。

 そんな話とは別にして、どうしてこうも日本では、フランス=パリなんだろうと思うのだ。見方を変えれば、日本=東京とか、日本=京都とか言っているのとか同じで、パリでフランスを代表して欲しくない。フランス中でパリ・ミュゼットは流れていないし(アコーディオンの音がもの悲しいアレね)、皆がエッフェル塔に行くわけじゃない(あの前でポーズつけて写真撮って叱られた人もいたけれど)。

 パリにどれだけ魅力を感じるかは人それぞれだし、決して魅力のない街じゃない。犯罪も多いし、薄汚れた汚さはあるけれど、それはパリが都会だからであって、パリだから汚いわけじゃない。でも、フランスだったらもっと素敵な場所があるじゃない。そう思うのだ。

 例えばこの記事のトップにある写真。西の果ての田舎道でとった何でもない風景。地平線まで広がる畑と大きな雲。美しいじゃありませんか。日本だったら北海道に似た風景があるのだろうけれど、スケール感はずっと大きい。えっ?牛が欲しい?いやいや牛なら掃いて捨てるほどいる(もちろんそれに見合った匂いもするけれど)。
 歴史的建造物だって、有名じゃないだけで、たくさんある。まあ、大抵は観光案内所すらない廃墟なのだけれど。(下の写真の建造物は、ちゃんと案内所があります。たしか。夏の間だったら…)

Bonne journée

Nous sommes ouvert


 « Nous sommes OUVERT » つまりは “We are open” 日本語なら「営業中」。
 このブログも私も、通常営業です。

 どうしてこの写真を撮ったかといえば、生きたフランス語を学ぶため。なんて訳はありません。その下に、Galette des Rois Maison(自家製ガレット・デ・ロワ)と書いてあったので、後で買おうとメモしたのでした。撮ったのは1月3日。間も無く公現祭という時期なので、あちこちに看板も出ています。前のポストにも書いた通り、クリスマスツリーもまだあります。

 さてさて、今年もぼちぼち頑張りますか。

Bonne journée

The last colours


Time flies.
We have almost completed another full trip around the sun. I hope your year has been full of success at the end. Soon we are going to start the next journey. Sometimes when we are looking back a year, it is likely to see negative aspects. However we know, once we start a new year again, we always find a glorious year in front of us. That’s why I decided to post these photos with full of colours.