
「苺をつぶしながら、私、考えてる。こんなに幸福でいいのかなあ、って。」
本当のところ中身の記憶は何ひとつ残っていないのだが、この書き出しだけは思い出す。良く知られた田辺聖子の「苺をつぶしながら」である。大袈裟に聞こえるかもしれないが、もうここだけでもう先が読みたくなる。きっと苺をスプーンの背でぎゅっと押しながら、それを見ている目は幸せな自分自身を眺めているのだろうなどと勝手に想像するのだ。そうやってこの部分はひとり歩きを始め、やがて本当に冒頭の部分だったかななんて不安になる。何しろその先の記憶はないのだ。読んだのはいったいいつだったか。
実際の気温など無視していなければやってられないなんて思っているのか、単に季節の行事が大好きで少しばかりその気持ちをお手伝いして儲けさせてもらおうというのか、街中はすっかりイチゴの季節となってきた。自分はといえば、やっぱりヨーグルトにイチゴを乗せて春を楽しんでいる訳だが、そのイチゴをスプーンで半分に切りながら、ふと目の先にある新聞記事が気になっていた。マスクをつけるかつけないかは、5/8からは個人の判断だという。いや、今だって個人の判断なのじゃなかったかなと思うのだが、その記事によればそうでもないらしい。
マスクをどうするかは色々考え方もあるが、気になったのはそこではない。国がそれを判断するってどういうことなのだろうと思ったのだ。日本に入国する時に国からの依頼だと聞いたが、もしかすると義務だったのかと今更気づいたのだった。緊急事態だから色々混乱もあるわけだ。出国したフランスはといえば、ある日政府がもはや義務ではないと言った瞬間から、誰もが自分の判断で好きなように決めたのだった。
マスクの着用のルールを変更するのは5/8からにするのは、ゴールデンウイークでの感染を避けるためだという。なるほどよく考えているなと思う一方で、これがフランスなら誰も従わないだろうとも思う。5/8がOKで、5/1がだめならその違いは何だと聞くだろう。だからなのか、ぎりぎりまでフランス政府は決定を言わない。1週間後から規制を撤廃すると言ったら、その日から誰も規制を気にしない。外出禁止であろうが、何だろうが、社会はゆる〜く動いていく。
そんなことを考えながら、イチゴをひとつ頬張るとスマホの通知がこう告げる。イチゴフェアのクーポンがあります。外は寒い。
依頼と義務では随分と違うけれど、日本の習慣を考えると、依頼も義務も似ているのかなと思ったりもします。依頼なら本来であれば断れるばずが、結局は義務みたいなものだったりとかで、その辺の線引きが曖昧かなと思います。
ドイツでは電車などの公共交通機関でもマスクをしなくてもいいことになりました。もちろん、したい人は今まで通りでいいという、まさに、ゆる〜い感じです。話は変わるけれど、暦の上では春ですね。
厚生労働省で調べてみましたが、今でも義務ではなく推奨だそうです。それを義務として議論しているんですね。日本文化の大人の判断は良い側面もありますが、この件はちょっといただけませんね。卒業式は例外にするとか、国が議論するなら根拠があったほうが良いと思います。フランスは去年の初夏からほぼ誰もマスクしてませんでした。ドイツはバランスよく出来てるなと思います。
え?ということは、屋内・屋外にかかわらず、5/8までは「つけましょう」ということですか? そしてそういうお決まりをきちんと守るのが日本人ですよね。
こちらではコロナのピーク時でさえも、人の集まる場所や屋内のみの着用(Mandatory)で外では個人の判断に任す、だったし、今はもうつけていないひとばかりです。
春に帰国を予定しているのですが、マスクを付け忘れないように気をつけないといけませんっ!
GW過ぎるまでは屋内はマスク着用が推奨だそうです。ただ、厚生労働省によれば、お願いという柔らかな表現ではあるものの、英語なら強いrecommendationといった感じかもしれません。どうしても着用出来ない人はしなくてもいいけど、そうでなければ必須だよ、という事実上の義務で語られます。屋外は現時点で 1割くらいの人がマスクをしていない感じです。でも、便利な日本、いつでもどこでも買えますよ♪日本での素敵な時間をお過ごしください。
ちょっと訂正。3/13からは屋内でもマスク着用は自由だそうです。アンケートによれば、それでもマスクを着けるという人が多そうです。どうなることやら。