
11月から3月にかけての冬季間、ブルターニュでは虹はタダである。誰に断る事なく好きなだけ見て良い。だからもし虹の根本に本当に宝が隠されているのなら、すでにブルターニュの住民は大金持ちになっている筈である。財宝を得たもの誰もがそれを隠しているのか、財宝などそもそもないのか、詮索しても仕方ない。そもそも虹はタダなのだ。皆が好きなように使って良い。
そもそも虹の根本に近づこうとすれば、虹は近づくものの欲を察して自ずと遠ざかるものだとか、虹よりもその下にあるキノコに欲が眩み道に迷うとか、もう誰も信じはしない。山にある果実もキノコも自然が与えたもうた恵として、誰もがそれを享受して良いと言うのが伝統なのであって、たまに道に迷うのも自然の一部なのだ。野うさぎの穴に落ちたところで驚くこともない。

人が森に住み、野うさぎを追い出し始めてから何千年もの時が過ぎた。そこここにある沼や低湿地も、人の手にその形を委ねながら、何千年もそこにある。川をえぐり、丘に水の通る穴を穿ち、物資を船で運ぶようになっても、虹はそこにある。だから散歩のついでにふと妖精を見かけても、ついぞ驚きはしない。妖精もずっとそこに住んでいるのだから。

ただ、ひとつだけ受け入れなければならない。もうドラゴンは絶えてここにはいない。ヨーロッパ最後のドラゴンはリュブリャナで果てたのだ。そのもはや無くなってしまったものを願っても意味はない。今ある自然を畏れず、少しばかり道具を使うことを許し願って、限りある今を忘れない他はないのだろう。きっと明日も虹はある。
I read it with Google translate after I recognized the dragon of Ljubljana. 🙂 Always good to see, especially now that I’m so far. All well to you.
Someday I would like to be there again.