Bonne journée, Photo

35mm F1.4

進化しないものだなとつくづく思う。戦前からほとんど何も変わっていないに違いない。確かに黒く光っていた金属部分の多くが強化プラスチックに置き換えられ、モーターが組み込まれたどころかCPUまで内臓されたのだから、アンリ・カルティエ=ブレッソンが世界を駆け巡っていた頃との違いは小さくない。とは言え、重たいガラスの固まりを包み込んだその形は同じである。カメラのレンズの話である。

カメラにもレンズにも愛着はない。もらったオリンパスや安く買ったキヤノンのカメラはいつか傷だらけになり、地金が出てきたあたりから扱いがぞんざいになって、いつかどこかにいってしまった。

いつも使っている今のカメラには20年前のレンズをつけて旅に出るが、もちろん手振れ補正なんてついていない。恐らくカメラマウントさえ合わせられれば50年前のレンズだって何も不都合はないのだろう。撮影していて液晶画面もほとんど使ったことがない。何かは撮れているに決まっている。確かにiPhoneよりは歩留まりが良くないだろうが、レンズの塊を通して大型のセンサーに集められた光を束ね、妙な画像処理をあまりせずに作られた写真はいかにも透明で、その良さは背面液晶パネルを見たところで判らない。たとえ20年前のレンズであってもである。

正直に言えば、最良の写真はiPhoneで撮影したものだと思っている。メインで使うカメラは何ですかと聞かれれば、間違いなくiPhoneである。時間と空間を切り取る道具として、手軽であることは最も重要な要素なのだ。それでもガラスの塊のようなレンズと大きなセンサーや昔ながらの35ミリフィルムで撮った写真には、そのレンズが安物であろうがひどく古い電子制御もないものであろうが、違う空気が漂う。ある意味、カメラもレンズも何だって良い。昔からあるカメラとして成り立ってさえいれば良い。基本的な構造は何も変わっていないのだ。

そんなわけで、毎回必ず写真をアップしているこのブログで製品名を書いたことはほとんどない。製品名があるとそれだけで自分の写真ではなく、カメラが撮った写真のような気がしてしまう。このレンズだから撮れた写真だと考え始めたら、アンリ・カルティエ=ブレッソンのような写真が撮りたいだなどと言えなくなってしまう。

さて、今回は、例外である。ロックダウンが長引いていることもあって、写真を撮ることが遊びみたいになるよう、安物のレンズを買ってみた。電子接点もないから絞りは手動だし、もちろんオートフォーカスなど付いていない。少し古臭いレンズ設計のようで、少し絞らないとボケがうるさくなったりもするし、画像の歪みも気になることもある。APS-Cサイズのカメラ用に売られている中国の銘匠光学TTArtisan 35mm F1.4である。ちょっと試してみただけだが、きっと癖が出るくらいには絞りを開けた方が、面白い写真が撮れそうである。

さて、久しぶりに電子接点のないレンズで写真を撮ってみて、後になってからつまらないことに気がついた。電子接点がないから焦点距離も絞りも何も記録されないのである。そう言えば、レンズなしでも撮影できるようにカメラの設定を変えたっけなどと、今更になって思い出している。