Bonne journée, Cross Cultural

WfH

今年の戦勝記念日は何もなかったらしい

 なんだか距離感のつかめないWeb会議の頻度が高まって、集中する事の意味が違ってきたような気がしている。ロックダウン前だって頻繁にWeb会議をやっていたのだから何も違いはないはずなのだが、Web会議がデフォルトになって、そもそも相手の顔を見なくなったような気がしている。要は、関係のない話だったらその間に別な仕事をしようかなと思ってしまうのである。生産性の低い会議などしていれば、そのウィンドウの裏に隠れている別な課題に取り組もうという気になってくる。

 追い討ちをかけたのは、映像がなくても良いと気づいたことだった。元はと言えば、リモートワーク(日本ではWfH – Working from Homeの言い方が定着してきたらしいがフランスは昔ながらの télétravail テレトラヴァイユが主流か)で集中した通信回線負荷を下げようという話であった。ビデオはそれなりに負荷が大きいからオーディオだけにしょうと映像を消したのだった。映像がなくても会議はしっかり進むし、会議で解決すべき課題にも結論が出る。逆に言えば、何も進まない会議なら別な事をしても良い。それが人の心理というものである。

 一方で、リモート飲み会なら映像が欲しい。音声だけでは臨場感に欠けるというものである。最近は、「Skypeでzoom飲みする?」というらしいから、動詞としてのzoomが映像付きのカジュアルコミュニケーションという意味を持ってきたのだろう。なんだか急激にZoomが市民権を得たようである。SkypeだろうがWebExだろうが、あるいはJitsiであってもさして違いはないのだが、Zoomは仕事のツールではないところまでユーザを広げられたのがよかったのか、それとも名前が良かったのか。

 少し前だったら「yahoo!でググってみたら」という言い方と同じなのだろう。その時点で検索という行為では勝負がついてしまったわけだが、果たしてZoomるのが定着するのかどうかは分からない。MicrosoftもGoogleもそう言えば自社にもサービスがあったと思い出したように宣伝し始めたし、この後で大きく勢力図が書き変わる可能性だってないわけではない。ただ、ちょっと面白いのは、Zoomを作った人は元WebExの技術開発トップの人だし、SkypeはMicrosoftの一部なわけで、案外内輪で盛り上がっているだけのように見えるという事だ。

 果たして時代はまたひとつ進むのか、それとも余計なツールがひとつ増えるだけなのか。
「この書類、Xeroxして郵送しなきゃ」と言っていた時代のXeroxも郵送も、最早クラシカルな商習慣の一部となった今、ZoomがTV会議であるうちは何も変わらないのかも知れない。

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