
流石に涼しい木陰にある紫陽花も花期を終え、街は真夏の花に入れ替わり始めた。梅雨の合間に差し込む日差しが目の奥に染み込んでくるようで、せっかくの陽射しであってもサングラスをかけて出歩くような強烈さだ。
良い週末を。
capturing in prose

鎌倉はふらっと散歩に行ける距離だというのに、ずっと遠ざかっていた。あえて理由を探すなら、混雑している場所を避けていたと言うところなのだが、それが特段の理由というわけでもない。通勤電車を郊外方向に少し行くだけなのだから、面倒がらずに家を出れば良いのだが、近いだけになんとなく億劫な感覚を持ってしまうというのが正直なところだ。でも、出かけてみれば案外楽しい。
北鎌倉の駅を降りて周囲を見渡せば、平日の朝だというのになかなかの人通りだった。誰もが明月院を目指して狭い道を歩き出す。別名あじさい寺。半分は宣伝文句だろうが、明月院ブルーなどと言われる紫陽花の名所である。でも、自分はといえば、そんな人混みを避けて街を歩く。でも、一箇所くらい知られたお寺さんにでも立ち寄りたいなと晴れ間の出た円覚寺を歩き、竹林に溢れる日差しと紫陽花をのんびり眺めた。
水曜日のWordless Wednesdayの写真と今日の写真はほぼ同じ場所。見ている方向と場所がほんの少し違うだけ。このくらい美しければ十分だと、明月院には立ち寄らず、反対側の谷戸に向かって円覚寺を後にした。

この数年は、徐々に英語でのポストを少なくしてきて、特にこの1年ほどはできるだけ週末と金曜日の記事は日本語のみにしてきたら、思いのほかアクセス数が減ってきた。英語の力は大きいのだなと実感する。昨日はウクライナでボランティアをしている人の映像がニュースで流れていて、訛りのある英語で窮状を訴えているのを見たが、もはや世界に伝えるには英語ということになっているのだろう。英語は良かれ悪しかれ、世界のコミュニケーション言語となったということだ。イギリスがEUから離脱して、EUの共通語から英語を外すなんて話もあったが、対話をするためには、結局は誰もが英語で話をするしかないのだ。
では英語でコミュニケーションすれば良いかと言われれば、それはあくまでもコミュニケーションなのであって、子供の頃から積み上げた言語と同等に使えるようになるには時間がかかるというものである。アメリカ企業で働いていてパートナーが日本人のフランス人の知り合いがいるが、先日Webで公開されている履歴書を見させていただいたら、言語の欄に、フランス語はネイティブ、英語は仕事で完全に使えるレベル、日本語は仕事で問題ないレベル、ドイツ語は基本会話程度とか羅列してあって、なるほどなぁと感心させられた。英語力は間違いなく高い人で、細かなニュアンスまで的確に言うスキルがあるのだが、確かに日本語となると物言いがシンプルになる。でも、言語の背景となる文化まで含めてなら母国語であるフランス語でなければならないということだ。
パートナーとの普段の会話は日仏ごちゃ混ぜらしいが、ニュアンスも含めたコミュニケーションならそれで良いのだろう。でも、ボードレールを語れと言われたら、日本語じゃ難しいのかもしれない。ちなみに、しばらく日本にも住んでいたというので沖縄料理屋でゴーヤを食べさせたら、「こんな苦いものは食べたことがない」そうだ。もう二度と食べないと言って、名前を一所懸命覚えていた。兎角、文化は難しい。

横浜や鎌倉の紫陽花はすでにピークを過ぎつつあるようで、ガクアジサイやヤマアジサイのつぼみはもう見かけない。2月から4月までの記録的な暖かさ(というより暑さ)が原因だろうということだが、もちろん真偽はわからない。春バラや桜と違って日陰ならひと月くらい咲いているから6月中旬くらいまでは雨の紫陽花を楽しむことはできるのだろうけれど、今年は6月下旬にもなると痛みも目立ってくるのだろうか。きっと7月上旬には剪定だろう。
欧州の紫陽花は夏の花だからもっと長く楽しめるのだが、この日本の梅雨時の紫陽花だからこその瑞々しい美しさもある。久しぶりに鎌倉でも歩こうか。
先週(6/2)に横浜の開港記念日と書いたが、記録的な大雨で雨天決行のはずの花火もさすがに中止となったらしい。翌日2日目(6/3)は午後になって晴れ。スタッフの懸命な排水作業などもあって、市民で賑わっていたとのこと。