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Floral Friday #140


 どなたかが世話している空き地のコスモスを見て、そろそろ散歩から帰ろうかなと思った。この季節は気を許すとあっという間に時が流れる。実際のところ、時間が早まったりすることなどあるはずもなく、日中の時間が短くなったということなのだろう。ついひと月前まで猛暑日だったということもあるかもしれない。真夏の暑さが秋分の日まで3ヶ月も続いて、このままずっと夏なのではないかと勘違いしていた間にも時は刻みつづけていたのだ。日没はもう17時になった。

 白とピンクに混じって、少し濃い色のコスモスや黄花コスモスもあって、思いのほか華やかな花壇は、風に揺られて楽しげだった。

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Floral Friday #139


 おそらくは子供たちが遊んだ後の忘れ物なのだろうが、思いがけずこういった風景に不意に出逢うと、少しワクワクした気分にさせられる。まっすぐに並んだ黄色い花と、落ちてきた緑の葉と、飛ばされてきたのかもしれない枯葉とが重なりあったこの造形が、現代アートのひとつの表現であったとしても驚きはしない。あるいはピクニックテーブルが、その瞬間だけは輝くステージにでもなったようでもある。少し得した気分である。

 そろそろ街の中から花が少なくなってきた。もちろん秋バラの本番は今からだろうが、なかなかやってこなかった秋は、一度時が熟せばいきなり本格的な秋にもなる。フランスの知人によれば、今年の秋はキノコが出てこないらしい。雨が少ないからだろうとのこと。でも、その知人は言う。一度降れば、あっという間にキノコだらけだよ。

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Floral Friday #138


 春の日は、晴れれば華やかな夏への予感を示し、降れば落ち着いた安心感を与えるものだと思うのだが、秋の日となると、晴れれば夏の終わりの寂しさをどこか感じ、降れば蒸していても次に来る冷たさを感じるものである。それが、自分だけの感覚なのか、他の誰かも同じように感じるのかはよくわからない。きっと勝手な思い込みに違いないとも考える。

 もしかすると、同じように晴れた真夏のような暑さの秋でも、陽は傾き、レースのカーテン越しに光が入り込んでくるようになるからこそ、スコーンと抜けたような夏の空を感じることができないことを寂しいと思うのかもしれない。もしかすると、薄暗い雨の日の空に冬の暗さを思い出すから、冷たい雨を想像するのかもしれない。ただ、そう思うのは、夏を過ごしたからに違いない。秋とはそういうものだ。

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Floral Friday #137


 そろそろ花の季節も終わってきて、取り上げることもなかったこんな地味な写真も良いかなと選んでみた。

 さほど遠くない場所に横浜市が管理する大きな花壇があって、春と秋に驚くほど美しく整備されるのだが、その花壇は春と秋の公開時期意外はクローズされている。きっと整備をしなおしている期間と公開する期間とに分けているのだろうけれど、なんだか少し残念な感覚がある。良いところばかり見せて、何もない時は隠しているみたいな、そんな感覚である。とやかくいうような話ではない。自分もしっかりその公開された時の美しい花壇を楽しんでいる。でも、クローズされるということは公園という訳ではないんだなというのが伝わってきて、少しだけ残念なのだ。この秋は、未だ見に行っていない。

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Floral Friday #136


 最近は、徐々にSNSやらBlogやらの上に知り合いもいなくなって、更新を続けることがつぶやくことに等しくなってきた。インタラクションが少しだけあった頃は「会話」のようなものもあったが、ツボに向かって話しかけるような今は、自分に向き合う修行みたいになってきた。今のところ、それで良いのかなというのが結論で、生きてる証のような大袈裟な感覚の小さな破片がポトリと落ちた先がここなのだろう。

 日本はまだ高温多湿の盛夏が続いているが、北海道には少しだけ秋の風が入ってきたし、日中の光も家の中に届き始めた。ようやく終わりが見えてきたと思えるようになって、夏の花が秋の花に見えてきたのは、少しだけ人間の傲慢さによるのかもしれない。少し傲慢だから、人間らしく生きていけるのだ。