Cross Cultural, Photo

Floral Friday #155


「ドローボした花植えてうれしいですか」

 花盗人に罪はないとか、花泥棒を窃盗のように裁くなとか、花を盗むことに関する言い方はあるが、この立札は切実である。まるで詩にでもしたようなドローボという誤字の音の響きにすら、ある日異変に気がついた時の困惑した様子も、せっかく植えた花が無くなってしまった悲しさも、ひとまとめに書き込まれているように感じる。盗人には役に立たないロープの向こうでは、新しく植えられた花がフレッシュな輝きを発してはいるが、どこかで寒々としているように感じなくもない。

 花盗人が恋の話ならまだしも、実際にある花を盗むなら、それが犯罪に類することであるのは間違いない。野に咲く花が美しいからひとつ摘んで持ち帰ったとか、垣根の向こう側から道に出ている小枝に咲く花がいい香りを放つからつい手折ったとか、そんなことであれば、犯罪というよりも倫理の話であって、窃盗として裁くべきかどうかは議論が難しい。法は小さな罪を厳格に裁くようには作られていない。手が届くところにある花をつい取ってしまうことまでを必ずしも裁かない。
 それでも、公園に植えた花を抜き取って持ち帰れば、それはどこかで心に冷たく感じる行為であることに異論はないだろう。だからこの立札は寂しく主張するのだ。誤字も含めて、願いを伝えようとするのだ。

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #154


 寒さの底となる時期であっても、陽射しさえあれば暖かい。降り注ぐ光に目を細め、間も無くやってくる春の暖かさを思う。柔らかな色にあふれ、土の匂いがし始める季節まで、あとひと月。それまではそんな時期を想像しながら過ごすのが案外幸せというものかもしれない。
 歯科にクリーニングに行ってみればもしかしたら治療が必要かもと言われ、きっと返事があるだろうと思って出したメールには何の返事もなく、ようやく週末だから日差しを浴びようと思えば雨模様。そんなふうに思い通りに行かないことを数えることに慣れてしまうと、折角の束の間の眩しい光の恩恵にも気付けない。だから野暮用で運転しなければならない300kmは、途中にお楽しみの買い物を加えて楽しく過ごそうなんて考えた。
 さあ、光満ち溢れる春がそこまで来ていますよ。

Cross Cultural, Photo

Floral Friday #153


 正月に咲く水仙は、春らしさを最初に感じる花であるとともに、どこか寒さも思う花でもある。冬のまだ弱い日差しに咲く小さな花を見ていたら、小さな蜂が現れた。ここにも春があるのか、まだまだ続く冬に備えて忙しいのか、見ている側の心のうちが透けて見えるような気がして落ち着かない。
 そんなことを考えること自体、どこか自己愛が出ているような気がすると思ったが、そもそも水仙は英語でもナルキッソス(narcissus、英語の発音はナーシサス)であって、湖水に映る自分に恋焦がれた罰として水仙になってしまった自己愛の象徴みたいな存在である。完全に見透かされたらしい。

Photo

Floral Friday #152


 クローズアップしてみると、なんと柔らかで透明感あふれる純白なのか。隣に植っていたピンクのサザンカを撮りに行ったはずなのに、すっかり忘れてこの写真で満足して帰ってきてしまった。

Photo

Floral Friday #151


 クリスマスは今日の1/5まで。明日の1/6はエピファニー(Epiphanie 公現祭 =jour des Rois)だからクリスマスツリーを片付ける日。そしてガレット・デ・ロワを食べる日。
 お正月の松の内は明後日の1/7まで。そして1/7は七草粥を食べる日。年神様が帰るから翌日1/8からは平日。そして正月飾りを片付ける日。
 信心深いような人間でもないから教会にも行かないし、神社に初詣もしない。
 昨日1/4は仕事始め。仕事熱心でもないから会社にも行かないし、新年会にも出ない。そして仕事は今日1/5からゆっくり開始。
 でも、日常が戻ったのならのんびりせずにフル加速。どうせなら、元気いっぱいの新年をゴージャスなお花で始めましょう。