
「ドローボした花植えてうれしいですか」
花盗人に罪はないとか、花泥棒を窃盗のように裁くなとか、花を盗むことに関する言い方はあるが、この立札は切実である。まるで詩にでもしたようなドローボという誤字の音の響きにすら、ある日異変に気がついた時の困惑した様子も、せっかく植えた花が無くなってしまった悲しさも、ひとまとめに書き込まれているように感じる。盗人には役に立たないロープの向こうでは、新しく植えられた花がフレッシュな輝きを発してはいるが、どこかで寒々としているように感じなくもない。
花盗人が恋の話ならまだしも、実際にある花を盗むなら、それが犯罪に類することであるのは間違いない。野に咲く花が美しいからひとつ摘んで持ち帰ったとか、垣根の向こう側から道に出ている小枝に咲く花がいい香りを放つからつい手折ったとか、そんなことであれば、犯罪というよりも倫理の話であって、窃盗として裁くべきかどうかは議論が難しい。法は小さな罪を厳格に裁くようには作られていない。手が届くところにある花をつい取ってしまうことまでを必ずしも裁かない。
それでも、公園に植えた花を抜き取って持ち帰れば、それはどこかで心に冷たく感じる行為であることに異論はないだろう。だからこの立札は寂しく主張するのだ。誤字も含めて、願いを伝えようとするのだ。



