Cross Cultural, Photo

Floral Friday #174


 引き続き鎌倉の写真なのだが、この写真のどこが鎌倉かと考えれば、この雰囲気なのかも知れない。いや、どこで撮ったってこんな写真になるでしょうと冷静な頭が反論はしているが、これが鎌倉なのである。

 今やほとんど観光でしか行かなくなったとはいえ、頭のどこかに観光地とは異なる鎌倉のイメージというものがあって、横浜から短いトンネルを抜けたら全く違う場所に出るものだと思っているらしい。それは観光で行く別な場所とかいうのとは全く違っているものなのであって、日用品を買いに行く近所のスーパーに対する深緑の公園のようなものだし、大船イタトマJrが閉店したというのと横浜のよく行くレストランがなくなってしまったというのが似たようで全然違う、ということでもある。

 先日初めて気がついたのだが、大船駅は、鎌倉市大船と横浜市栄区笠間の間にある。それなのに、大船駅は立派な鎌倉なのだ。だからこの写真も誰がなんと言おうと鎌倉なのだ。そんなイメージが頭の中の鎌倉というエリアを構成している。でも、それって何なのだろう。答えはない。
 

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Floral Friday #173


 向こう側に逗子との境となる山を眺めながら、鎌倉の街は本当に小さいなと思う。鵠沼まで行けばその先は平らだというのに、どういうわけか鎌倉の場所は小さな山がいくつもあって、そのひとつひとつの谷戸に人の住む場所とお寺がひしめいている。
 刀と弓の時代にここを攻めるのは大変だろうなと思うのだが、それは観光客の視点であって、住むとなるとスーパーの場所がむしろ気になるだろう。小さな商店だって散在していないわけでもないが、谷戸の狭い道にそって歩けばそれなりの距離になる。一番開けた若宮大通を挟む両脇の広い土地であっても、少し行けば山があるから道が広いわけではない。その上土地は少し傾いている。狭い道を歩いていれば車も通るし、観光客も好き勝手に歩き回る。そういう自分も今は観光客でしかない。
 生活を邪魔してごめんなさいねとか思いながら歩いてはいるが、つい覗き込んだお店に面白い形の器でもあれば立ち止まってすっかり観光客である。横浜から来ているのだから、たとえ用事があろうとたった30分の距離であろうと、のんびり歩く自分は立派な観光客なのだ。
 由比ヶ浜の先に遠く見える相模湾の隅っこを眺めながら、どこか場違いな場所にでもいるような気分になってそんなことを考えた。
 それでも、住んでいるはずの横浜だっていつだって、どこか異邦人のような気分を感じながら生きてきた。生まれた場所をとっくの昔に離れ、今やその生まれた街に行けば道に迷う。長く住んでいる横浜だって、少しブランクがあれば景色も変わる。そうやって住んできたのが自分なのだ。だから横浜だって異邦の土地でもあるし、鎌倉だって地元みたいなものと思うこともある。
 

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Floral Friday #172


 最近若くないなと思う瞬間のひとつが、美しい花を見て写真を撮る自分に気づいた時だ。普段からある意味工夫も何もない花の写真をただ綺麗だなと思って撮っているわけで、その度に若くないなと思うわけではない。それどころか、インスタだろうがXだろうが、花好きの人がちょっとしたテクニックを駆使して驚くほど美しい花の写真をアップしているのを見れば、そこに年齢など関係ないことがよくわかる。花の写真が年寄りの趣味だなんて、誰が言ったのか。
 若くないなと思うのは、ふと「何故この変わり映えしない写真をまたも撮っているのだ?他に撮りたいものなどいくらでもあるだろうに。」と考える自分に気づいた時である。血気盛んな若者だった頃は、知人が貸したカメラに勝手に残したペンキの空き缶とドライバーだけの写真に嫉妬したではないか?雪上車の黒々とした巨大なタイヤをこれでもかとデフォルメした写真を撮って自己満足したのは誰なのだ?風に揺れる野花の中にカメラを沈めてニヤニヤしながらその瞬間を待っていたではないか?
 どうでも良い話ではある。空き缶の写真は今だって撮っているようなものだ。先日はシロアリに穴だらけにされた放置木材の写真を熱心に撮ろうとしていたし、ある程度写真の撮り方のお作法みたいなものが分かってきた今は、むしろ50mmくらいの標準レンズでどうやったら大きさをデフォルメできるかなんて考えたりもする。
 だから若くないなと思う瞬間は、「だって綺麗なんだから写真に撮りたいだろ?」と言い訳する瞬間なのである。若者は言い訳しないものだ。少なくとも、そういうことになっている。現実はそうじゃないけどね。
 
 

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Floral Friday #171


 先週に引き続きヒメジョオン・ハルジオン論争を書こうというわけではない。侵略的外来種ワースト100とか書いておきながら、可愛らしい花だからもう一度載せたいといったような話でもない。可愛らしい蜂の写真のつもりである。蜂ってどういう意味だ?と聞かれかねないが、ちゃんと写真中央、少し右寄りに写っている。
 この頃は夏も近づいてきたこともあって、家の周りにはアブラムシやらカメムシやらが発生しつつあり、油断していると家の中にまで入り込んでくる。虫が苦手というわけでもないが、できれば人間の生活圏と同じ空間を使うのは遠慮してほしいというのが本音ではある。ゆったりコーヒーを飲んでいる目の前をフラフラと虫に飛ばれると、ちょっと落ち着かない。
 そんな中でも、個人的には、てんとう虫とカマキリとクモについては丁重な対応を心がけている。何せ目障りな虫を掃除してくれるのである。数年前にカマキリが植物の葉を食い荒らすバッタを狙っているのを見かけ、「ボナペティ」と放っておいたらバッタを捕まえるのに2時間もかけたということがあった。カマキリは気付かれまいとじっとしたまま動かず、おそらくは気付いていたバッタは動けば捕食されると動けなかったのだろう。
 そんなわけで下の写真は生まれたてのカマキリである。残念ながらiPhoneのフォーカスをうまく合わせられずクリアな映像ではないが、大きさは1センチにも満たないので、これが限界というものである。厳しくも愉快な夏が目前だ。

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Floral Friday #170


 これがヒメジョオンなのかハルジオンなのかと問われると、もしかしたらヒメジョオンなのかなとしか言えないのが残念なところである。
 子供の頃、誰に教わったか白いのが春らしいからハルジオンで、ピンクのがお姫様みたいだからヒメジオンだと信じていたが、後になって色では見分けがつかないと知って、もう区別の付けようがなくなった。そもそもヒメジオンという記憶が間違いであって、ハルジオンに対してヒメジョオンなのだ。名前が似ていて花が似ていて、でもよく見ると名前が微妙に違っているだなんて、誰がそんなことにしたんだなどと怒っても仕方ない。
 花弁が細かくて反り返っているいる感じなのがハルジオンで花弁がすっきりしているのがヒメジョオンだとか、一枚一枚の葉が茎に回り込むようについているのがハルジオンで普通にすっきりとついているのがヒメジョオンだとか、1日もすれば忘れてしまうような知識では、到底区別もつかないのである。こうやって書いている間も、どっちがどっちだっけ?なんて、Webを調べながら記憶を更新しているのだが、明日の朝にはもうすっかり忘れているに違いない。
 冒頭でヒメジョオンなのかなと書いているのも、花弁が比較的太くてすっきりしているからそう書いているのであって、葉のつき方を見てるとハルジオンなのかなと思わないでもない。まあ、分からないのだからこれ以上書いても仕方ない。
 ところでハルジオンは春紫苑、ヒメジョオンは姫女苑なので最後の「苑」は同じでも名前としては全然違う。だからと言ってハルジオンは紫苑の仲間ではないらしいからさらにややこしい。
 はっきりしているのは、どちらも北米から来た要注意外来生物というところである。侵略的外来種ワースト100だそうだ。やれやれ。