Cross Cultural, Photo

Floral Friday #179

(English text at bottom)
 いつ、なぜ、どこで、なぜ撮ったか分からない写真というものがある。この写真がまさにそれで、さっぱり思い出せない。
 どこにでもあるいい加減な花の写真ではあるが、わざわざ残しておいたのだから、何か思い出なり考えなりがありそうなものだ。
 ところが、じっくりと眺めてもみたが、「もしかしたら」なんて思うことも何ひとつない。どこかにバッタでも隠れているとか、緑の葉の影が面白かったとか、花のオレンジが光の中で美しかったとか、まあ何でも良いのだ。ひょっとして奥の光が面白かったのか?
 じゃあ、なぜ今回のFloral Fridayに選んだのかと言えば、目についたからである。客観的に見てはいけない類のものなのだろう。これを撮った時も、保存した時も、そして今回選んだ時も、何故か目についたに違いない。そこには、思い出も写真の出来も関係ないのだろう。おかげで今週のネタができたのだからOKだ。

There’s a photo where you don’t know when, where or why you took them. This photo is a perfect example of that, and I can’t remember anything.
It’s just another photo of a flower you could find anywhere, but there would a reason why I took it. Just for puting some memory or thought behind it, I thought.
However, even after looking at it carefully, there was nothing that made me think “maybe.” It could be anything, like a grasshopper hiding somewhere, or the shadow of the green leaves was interesting, or the orange of the flower was beautiful in the light. Perhaps the light in the background was interesting?
Probably I had no reason. I just felt looking good?

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Floral Friday #178


 楽しそうに歌い出す青い花々の手前でくるくると回り続けるチコレート色の雄蕊をながめ、若いっていいなと思ってしまったことに苦笑する。クリーム色と言うには少々華やかさのある黄色は、柔らかな色合いを強調する様なそばかす状の茶色の斑点に一層輝いて見える。だから若いと思ったのか、それとも勝手な想像なのか。

 この週末は、ポスト予定はありません。次のポストはMostly Monochrome Mondayです。

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Floral Friday #177


 アメリカ大統領選だろうが、都知事選だろうが、どんな報道を見ていても同じようにしか見えない。それがいい加減な連中の茶番を見ているからなのか、自分の中で関心が薄れてしまっているのか、とんと分からない。それでも時間は流れ、地球は寸分違わず太陽を周り、自分はといえば喉が乾いたななんて思っていたりする。直接的に物事を見るなら、しっかり社会に関心を持って日々を過ごすことが必要ということなのだろうが、ちょっと身を横に避けてみるならば、茶番に付き合わないよう過ごす術を覚えることなのではないかと思い当たって少し悲しい。それでも時は流れてしまうのだから。

 紫陽花の花が終わって茶色になり始めたのを季節が進んだことの証と思うのは簡単だが、案外、人はその茶色になった紫陽花を見ようとしない。茶色になった頃だから見えるその色を美しいと思うか否かは人それぞれ。気が付かないのは、枯れ始めた紫陽花に関心がないのか、それとも身を引いて見ているのか。

 枯れかけた紫陽花って、案外綺麗ですよ。

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Floral Friday #176


 梅雨に入る前から暑い日々が続いてきたのですっかり季節感がずれているらしい。この写真はフランス北西部で撮ったものだが、6月といえばようやくこんなアイリスが終わる頃のはず。どうして朝からかき氷を買ってるんだ?なんてぼやきもでる。

 夏至は1週間前だから、欧州だと今が一番暑い季節。学校も年度終わりで長い夏休みに入り、毎週のようにあった街のイベントも、夏至の日のLa fête de la musique(音楽の日)を最後にほとんどが終わって静かな日々が戻ってくる。西日が暑いから夜は木陰で冷たいものを飲み、間も無く来るバカンスまでカレンダーを数える日々だ。

 その点、日本は沖縄を除いて梅雨の時期で、東京近郊は通常なら最高気温25度の蒸し暑い日が続く。子供達にとっても夏休みはまだまだ先だし、サラリーマンといえば濡れた服を乾かしながら梅雨明けを思うのがルーチンワークみたいなもので、夏休みのかけらもない。ジリジリとした夏はずっと先の事だ。

 それなのに、今年は梅雨の前に30度の夏が来た。もう夏の花が咲き始め、毎日Tシャツで過ごせるほどの気温である。ようやく雨が多くはなったとはいえ、今頃はどんな花が咲くんだったかななんて考える。まさか梅雨が明けたら連日35度ってことはないよね。

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Floral Friday #175


 今年はバラも紫陽花も早くてもうほとんど終わりかけている。近所の空き地のヒルガオは随分と早く咲き始めたなと思ったら、夏前の草刈りで根こそぎ無くなり、もはや夏の様相を見せ始めた。そんな状況の割には梅雨入りは遅れている。あまり雨量は多くはないもののすっきりと晴れない日も多かった春を思えば、梅雨は前線の動きでしかないイベントにでもなってしまったようだ。

 最近は混雑しているスーパーや病院以外ではマスク姿も見かけなくなって以前の生活が戻ってきたが、あの不思議な時期以降、どういうわけか街中に出かけることが億劫になってきている。人の顔を見に出かけたって何も面白くないと気がついただけなのかも知れないが、どこかで生活が変わってしまったようでもある。無理してでも出歩かないと、何もしないことに慣れてしまうような気がして落ち着かないということもある。ひとり、カメラを抱えて公園の花の写真を撮りに出かけるのは、何かしないと何かが壊れてしまうと感じる根拠のない不安への対応みたいなものだ。その何かが何なのかは答えがないのだから。

 まあ、半分は運動不足解消のために、カメラというウェイトを持って歩いているというのが本音ではある。そのウェイトも重い一眼レフに重いレンズだったものが、軽い小さなミラーレスへと変わり、最近はiPhoneだ。それで十分なのだから仕方ない。たったひとつ都会に住むメリットがあるとすれば、運動不足解消とか言いながら、黙っていても5000歩くらいは歩いてしまうということか。

 やっぱり写真でも撮りに行こう。