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Floral Friday #188


 最近は、西洋朝顔とも呼ばれるソライロアサガオなどはよく見かけるが、日本朝顔はだいぶ少なくなったような気がしている。近所の小学校の子どもたちが夏休み前にアサガオを育てていたりもするが、葉面に細毛があったりするので日本朝顔なのだろうか。近頃は持ち帰らないらしく、庭先に朝顔が咲いているのも見かけない。
 ソライロアサガオも日本朝顔も同じヒルガオ科であることには違いないが、日本朝顔が早朝に咲くアサガオであるのに対し、ソライロアサガオは昼過ぎまで咲いているからソライロアサガオの方が好まれるのかも知れない。写真は葉が三烈していないので西洋朝顔系なのかなと思うが、日本朝顔のように夜明け前から咲いていた。多種多様な品種があるのがアサガオ・ヒルガオの特徴でもあるので、素人である私には判別ができない。
 流石にアサガオもそろそろ季節の終わりとなってきた。9月半ばになっても暑いので、まだ夏の花が咲いていても違和感がないが、気温が下がりつつある昨今は、秋らしい風景が恋しい。もうこれで最後というアサガオの写真で夏を終えたいところである。

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Floral Friday #187


 ホワイト・ジンジャーの花の季節は夏だと思っていたら、元々の種類は秋の花だと先日知った。そもそも熱帯から亜熱帯の植物という話もあって、ジンジャーといえばクリスマス頃のクッキーや飲み物の香りづけをイメージしていたから、だいぶイメージとは違う。その上、ホワイト・ジンジャーと生姜にさほど違いはないとのことで、観賞用か食用かの違いはあっても、ほんの少しの種類の違いでしかないらしい。ホワイト・ジンジャーなんて名前だから、生姜とは遠い別な種類かと完全に勘違いしていたのだった。
 もっと言えば、台湾や沖縄に咲く月桃は生姜の仲間であるが、かなり近縁らしいというのも意外だった。生姜の仲間であるとは知っていたが、花の形はかなり違う。確かに生姜の一族であることを強く主張するツンとする香りは紛れもなく生姜そのものだが、それは同じ科に属するという程度なのかと完全に誤解していた。勝手な思い込みというやつである。
 全く記憶にないところを見ると随分と前の話なのかも知れないが、昔はどこの家にもホワイト・ジンジャーが植えてあったとのこと。庭が小さくなったこともあって急速に姿を消したらしい。球根で横に広がっていくので、確かに現代向きではないのかも知れない。とはいえ、モノは生姜である。害虫には滅法強い。ほっとけば育つと聞いて、俄然興味が湧いてきた。でも、都会向きじゃないんだよな。

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Floral Friday #186


 7月の後半にいつものように梅雨が明けて、梅雨明け十日の言い方通り良い天気が続いたと思ったら、その後もほとんど雨の降らなかった夏。
 ひと月以上も雨らしい雨にもあたらず、連日報道されていた雷雨も知らず、30度くらいまでしか気温が下がらない蒸し暑い朝と、35度を超える焼けるような午後にひたすら耐え、その暑さに慣れることもなく過ぎ去るのを待った夏。
 涼を求めてどこか遠くに旅することも、繰り返す灼熱の日々を受け入れることも、いつもの夏を思い出すことも叶わない程に身体に堪えた夏。
 その夏の終わりに突然降り始めた驟雨は、身体を喜ばせることも、心を楽しませることもなく、再び耐えて待つことを要求する雨となった。

 異常気象とかいう言葉で軽々に語るものでもなさそうだが、ひとまずは区切りがついて、ほんの少し秋に近づいたことを喜ぶべきなのだろう。やれやれ。

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Floral Friday #185


 先日、外出先でお昼ご飯を食べようとレストランを探したところ、近くにひまわり畑がある道の駅を発見し、混雑しているかなと思いながら立ち寄った。何も知らなかったが人気の道の駅である上に、そのひまわり畑は最終日ということもあって、お昼ご飯を食べるどころか駐車上に入ることもできず、そそくさとその場を後にした。確かに見事なひまわり畑で、当日の何時からかはわからないが、持って帰っても良い日だったそうである。背丈よりも大きなひまわりは、夏の強烈な光を浴びて輝いていて、確かに一目見るだけでも価値があると思わせるものだった。

 この写真は、当然ながら、その時のものではない。何しろ車を止める余裕もなかったのだから、写真も撮りようもない。ただ遠くから眺めただけだったし、お昼ご飯はそれから1時間半後になってしまったほどだ。田舎の狭い道で、Uターンすることさえ出来ない状況で、遠回りをして別な場所に移動した。

 しばらくしてふと考えた。こんなに混雑しているひまわり畑で見るひまわりと、ゴッホがアルルで見たひまわりは、それでも同じなのだろうかと。ひょっとしたらアルルのひまわりは違って見えたのではないかと。いくら考えたところで結論は出ないのだが、フランスのひまわり畑も同じように一面に広がるものだった。畑なのだから、効率的にタネを取れるように作られているに違いない。ゴッホが見たなんて書くとたいそうなもののようだが、むしろ畑という人の営みが作り出すものという点では、何も変わらないに違いない。きっとアルルに行ってみても、ゴッホが何を見たのかはわからないだろうな。そう思うのである。

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Floral Friday #184


 今年は自宅の周囲の蔓をこまめに切ってしまったため、いつも咲くヒルガオをほとんど見ていない。近くの公園も、空き地もきちんと刈り込まれ、ヒルガオの色すら忘れてしまうほどだ。
 アサガオに似ているから種子ができて繁殖するのかと思いきや、繁殖はもっぱら地下茎だそうである。秋に枯れても地下茎は残り、翌年の春には蔓を伸ばす。双葉なんて時間がもったいないから、まずは蔓を伸ばす。他の雑草より早く伸びて上を目指し、たっぷりと得たエネルギーで地下茎を伸ばす。だからクズと同様に駆除が難しい雑草でもある。今年は早めに除草することでヒルガオを減らすことに成功したという事だろう。
 でも、ヒルガオ好きは全く心配する必要はない。また来年にはしつこく生えてくる。そうして5月の終わりには花を咲かせ、ひと夏咲いてまた枯れる。
 先日、クズとヒルガオが広がる空き地の横の狭い路地を通ったら、余程手を焼いているのか、足で蔓を踏みつけてひとつひとつ成長を止めようと戦っている男性がいた。気持ちもわからないではない。クズは1週間もあれば1メートル伸びる。ちょっと気を許すと一帯がクズだらけである。ヒルガオはそこまで成長しないが、フェンスがツルでいっぱいになり秋の掃除で手間がかかる。男性は、それはもう鬼の形相で、踏みつける姿は気迫に満ちていた。
 ただ、何も言わずにおいたが、正直無為な行為ではある。冬前には枯れて茶色くなった枯れ葉を捨て、ようやく落ち着いたと思ったらまた春には元に戻ってしまう。無限に山の上に巨石を持ち上げるシーシュポスのように、同じことを繰り返すのが季節というものだ。やがて根負けするのが人の営みの一部なのだろう。