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Floral Friday #159


 本当はモノクロ用に撮ったものですが、色が勿体無くてカラーでアップしています。意図はモノクロだったので、下にモノクロ版も載せてますが、この色を無くしては折角の春の色が出せずに残念過ぎるかと。

 桜にはさまざまな種類がありますが、先週に引き続き河津桜です。他の桜も撮っているのですが、いまひとつ意図したようには撮れませんでした。腕が足りないというか感性が足りないというか、どれもこれも同じような写真になってしまうのです。

 あちこちにソメイヨシノが植えられていますが、そろそろソメイヨシノ一点張りの風潮から、さまざまな桜を楽しめるようにならないかなと感じています。よく行く公園にも桜が植えられましたが、お決まりのようにソメイヨシノでした。多様な方が長い期間いろいろな形を楽しめますし、個人的にはより美しいと思うのです。


 今回から定期連載のポストについては、不定期の「習作」などの掲載とは分けて、それぞれのスタイルで描くことにしました。あれ、いつもと雰囲気が違うぞと思われたとすれば、それはそうした理由です。気になることがあれば、遠慮なくご指摘ください。

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Floral Friday #158


 今年はミツマタが咲くのも少し早いなと思って去年の写真を見返したら、案外同じ時期だった。いつもと違うような気がしているのは、きっとどこかでいつもと違うと思い込みたい自分がいるからだろう。
 ここ何年かは個人的にも仕事にも大きな変化が続いているから、そうやって非日常であることを求め続けているのだ。もっと正確に言えば、いつも非日常であると思い込みたいのだ。そう思えば、急に訪れた非日常に安心もできるというものだ。
 非日常に安心することを「日常」と言うのが人の営みというもの。何もない一日なんてありはしない。何もなかったと思える一日があるだけ。だから毎日を楽しく過ごすことができるのだ。

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Floral Friday #157


 この写真は随分前に撮って没になったもの。奥の蕾にピントがいって、見ていてあまり安心できない。それでも今回ポストしたのは、どことなく薄暗い春の初めの天気が懐かしくなったから。

 横浜に住んでいれば、冬の初めから春の初めまでは、カラッとした晴天が続くと暗黙のうちに考える。もちろん時には雨も降るし、曇り空が続くことだってないわけではないが、冬といえば抜けるような青空のように、ついステレオタイプに見てしまうものである。確かに晴天率は高い時期だが、だからと言って必ず晴天が続くわけでもないことくらい理性では分かっている。でも、どこかで晴天を期待しているのだ。
 フランスに住んでいた頃は、冬といえば毎日小雨だったし、その雨だって晩秋の曇った一日に時折ぱらつく雨と、春の強烈な日差しとあられが交互にくるような雨とではまるで違っていたから、場所だけでなく季節で違っていることなど当たり前だと冷静な頭は考える。天気のことを方程式のように考えたって仕方がないのだろう。
 そんなことを考えていたら、少し薄暗い中に咲く白い花が、ジメジメとした空気の記憶の中に蘇ってきた。

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Floral Friday #156


 先週のいつだったかにどこかのSNSにポストした写真だったが、そのタイミングでBlogにはポストできなかったので、こちらにもアップすることにした。
 なんだか今年に入って忙しすぎて、色々なスケジュールが思ったほど管理しきれていないようなのだ。仕事が忙しいなら対処の仕方も知っているつもりだが、プライベートも含めてあまりに多種多様すぎると単純な解決法は通用しない。困ったものである。暇より忙しい方が良いと思っているが(やることがあるのにやらない暇は歓迎)、限度というものがある。
 ということで、今週は手短に。

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Floral Friday #155


「ドローボした花植えてうれしいですか」

 花盗人に罪はないとか、花泥棒を窃盗のように裁くなとか、花を盗むことに関する言い方はあるが、この立札は切実である。まるで詩にでもしたようなドローボという誤字の音の響きにすら、ある日異変に気がついた時の困惑した様子も、せっかく植えた花が無くなってしまった悲しさも、ひとまとめに書き込まれているように感じる。盗人には役に立たないロープの向こうでは、新しく植えられた花がフレッシュな輝きを発してはいるが、どこかで寒々としているように感じなくもない。

 花盗人が恋の話ならまだしも、実際にある花を盗むなら、それが犯罪に類することであるのは間違いない。野に咲く花が美しいからひとつ摘んで持ち帰ったとか、垣根の向こう側から道に出ている小枝に咲く花がいい香りを放つからつい手折ったとか、そんなことであれば、犯罪というよりも倫理の話であって、窃盗として裁くべきかどうかは議論が難しい。法は小さな罪を厳格に裁くようには作られていない。手が届くところにある花をつい取ってしまうことまでを必ずしも裁かない。
 それでも、公園に植えた花を抜き取って持ち帰れば、それはどこかで心に冷たく感じる行為であることに異論はないだろう。だからこの立札は寂しく主張するのだ。誤字も含めて、願いを伝えようとするのだ。