相変わらず寒い朝には霜柱が存在を主張し続けているが、時々温かい南風が入ったりして、ようやく冬も終わりそうに思えてきた。早朝の空もいくらか早く白み始め、金色に輝く月とクリーム色の混じったピンクの背景が明るさを増した空に春を感じさせる。
気が付けば、パンジーのすぐ横にはチューリップの芽がたくさん出ている。不思議なことに、芽が出てきても暫くは気付かない。自然とはそういうものなのだろう。
つららの季節は間違いなく終わりである。
capturing in prose
寒いと熱いコーヒーが欲しくなる。夏でもホットコーヒーを飲みたいほうなので冬に限ったことではないが、寒い中で暖かくして飲むコーヒーは格別である。淹れたてのコーヒーの香りの甘さと苦味が一層強く感じる瞬間が心地よい。
グレイラインのバスに乗っていると、バスストップにあるコーヒーサービスで水筒サイズのカップにたっぷり補給するちゃっかり者を見かけたりするが、あれはコーヒーが妙に薄いからできるのだろう。フランスだと、特に注文をつけなければ濃くて香りの強いコーヒーが出てくる。もちろん量は少なめだ。だが、皆が濃いめのコーヒーが好きなのかと思いきや、そうでもないらしい。薄くしてくれと頼んだり、カフェインを抜いたデカフェを頼んだりする人も多い。大抵エスプレッソが置いてあるあたりは強いコーヒーが好きな人が多いということだろうが、もはやステレオタイプな見方なのだろう。シアトル系コーヒー店がほとんどないのはおそらく別な理由だろうが、従来型の見方は当てはまらないと考えた方が良さそうだ。ちなみに、コーヒーを最も飲む国はフィンランドだそうである。これまた、日本人が抱くイメージとは少し違うかもしれない。 Continue reading “Bonne journée (11)”
関東の冬は冷たく乾燥した冬である。乾燥しているがゆえに、時に、カミソリのような空気の痛みを感じることもある。パリもこの季節は同じような気温であるが、この乾いた感覚では異なっているという。1月にパリを訪ねたことはないが、少なくともフランスから日本に来た知人はそう感じるらしい。
そこに住んでいれば当たり前と感じることが、他の多くの場所ではそうでもない。フランス北西部ともなると結構雪が降るのだろうと聞くと、ほとんど積もったこともないし、そもそも降らないとも言う。ニースあたりだと冬も暖かいのかと聞くと、アルプスからの強風が冷たく、雪が降ることもあると言う。当たり前の感覚は、先入観も含んでいるというべきか。
乾燥した関東の風景のひとつに霜柱がある。繊細なガラス棒を束ねたような氷が朝日に輝く様子は美しい。子ども達にとっては、踏めば一瞬にして終わるはかない遊び道具でもある。
この見慣れた霜柱も気象学的には珍しい現象なのだそうである。大陸の冷え切った空気が海を越えて大量の水分を蓄え、日本列島の山で吹き上げられて雪を降らす。再び乾燥した空気は、関東平野を吹き抜け、冷たく乾いた空気が残される。しかし、砂漠と違って関東の肥沃な土地はたっぷりと水分を含み、この冷たい空気に覆われる。しかして、放射冷却で冷えた大地からは空に向かって水分が凍り、再び水分が吸い上げられ凍り、これを繰り返して輝く氷の柱が伸びていく。
すなわち、大地は十分に潤っていなければならず、毛細管現象が起こるに十分な粒度と柔らかさが必要であり、そして凍ってはならないのである。氷点下の厳しい寒さの朝、凍らない大地から氷が成長するのである。
自然は時に難しい条件をいとも簡単に作り出す。
困ったときの神頼みでもないだろうが、小学生の時以来の久しぶりの初詣は、予想以上の混雑で驚かされた。ここ数年、あまりよくないニュースが続いたからなのか、それとも手軽なレジャーなのか、はたまた信心深いひとが増えたのか。賑やかな地方の神社は、さながらバーゲンの人混みである。
もはやひと時代昔と言うも憚られる過去のことではあるが、最後に訪ねたときは、賑やかではあっても出店が並ぶというほどでもなく、訪れた人一人ひとりに甘酒がふるまわれるのんびりした雰囲気だった。皆で火を囲み、温かいものを飲みながら暖をとった。それが今や長蛇の列である。いや、商業化し混雑した今を嘆いているのではない。この新年の賑わいに、これからの1年を期待したいのである。
Bonne Année!