
遅い朝の柔らかな光に照らされた山茶花にも、どこか夏のイメージを感じることがあるのは気候が温暖なせいなのか、それとも勝手な思い込みなのか。
最近は椿や山茶花を見ても苦手な感じがしなくなったのは、年齢が上がってきたということなのだろう。こんな派手な造形を見慣れたという事もあって、余裕を持って見ることができるようになったのは間違いない。若い頃は、花を見ても写真に撮りたいなどとも思わなかったし、興味もなくて、単純にきれいだなと思う程度だったものが、道端の花に興味を持てるようになったのは喜ぶべきことに違いない。
ひとつ自分で納得しているのは、色々と経験を重ねてきて、スリルとか緊張感のようなものにはあまり驚きも喜びも感じなくなってきている、というのはあるのかなと思っている。それよりも、今まで目をやる余裕もなかった道端の花にも目が行くようになって、ようやく観察ができるようになったのかなと。
理屈はどうであれ、こんな山茶花を見て写真を撮っているのは、若い頃には考えられなかったことだということだけは間違いない。
ちなみに中国だと、茶梅と書くのがサザンカ(sasanqua)であって、山茶花はツバキのことだそうである。山茶花は本来はサンサカであって、これが転じてサザンカとなったなんて言われると相当ややこしいが、この手の類のうんちくを喜んで聞いたり話したりするのも若い頃には考えられないことだったような気がする。クイズ研究会なら別なのかもしれないが。
Lovely
And looks sweet somehow, literally.