Bonne journée, Cross Cultural

(pas) Très sale 4


 Très saleの最終回です。極力不快な描写を使わないようにしていますが、今回もblogではあまり取り上げない内容となっています。

 若い頃は、体力の衰えってどういう事?なんて思うものである。スポーツ選手がなぜ20代で引退するのかも分からなかったし、30代でも体力が落ちた気がしなかった。
 学生時代に何かの授業で「皆さんは殺しても死なない年齢です。」なんて冗談を言われて笑っていた事もあったが、ただ、その意味が分かる年齢になるのは案外早かった。20代や30代はある意味走り続けていたのだ。どんどん時間が過ぎ、「中年」と影で言われる年齢になったあたりから「若い頃」の意味が分かったのだった。
 先日歯医者さんで歯科医が若い歯科衛生士さんにこんな説明をしていた。
 年寄りの歯が悪いのは年齢による衰えだけの問題じゃない。わずか30年前くらいまでは、学校でまともに歯磨きをさせていなかった。その頃子供だったら、虫歯になる。50年前は歯ブラシを持ち歩くどころか、歯磨きの時間もなかったし、寝る前に歯磨きをすることも習慣化されていなかった。つまりは生活習慣の変化も含めて、年齢差は出てくるのが当然なのだと。
 最近は、その歯科のトイレもそうなのだが、綺麗なトイレには「男性も座ってね」なんてシールが貼ってあったりする。立って小用をたすと飛び散って不衛生だというのが主な理由なのだが、コロナ騒動で一気にパブリックなトイレにも広がったような気がしている。自分もずいぶん前から座ってするが、年齢が上がると割合は少なくなるらしい。20代は自宅なら8割が座るそうだが、50歳を超えたら半分以下ではないかとのことである。
 こうした事も生活習慣の変化なのだろう。毎食事ごとの歯磨きなんて当たり前のことを社会全体が当たり前と思うようになったのが30年前なのだとしたら、男性が座ってトイレに行くのを常識とするのは間も無くなのかもしれない。

(こうした内容を不快と感じる方は、ここまでとしてください。ここから先は、トイレ事情や性に関する内容が含まれます。)

 最近の建てられたビルは広い手洗いスペースがあったり、男性用トイレにも個室を多く設定したりしているが、古い建物だと昼休みはトイレが混雑することもある。歯磨きも順番待ちだし、個室を使いたい事だってある。ある隣り合った同じ会社のビルの洗面台の数が、全く違ったりもする。建てた時期で、洗面のニーズが違っているということだ。
 そもそも日本ではどういうわけか、女性の清掃員が男性トイレに予告なしに入ってくる。最近でこそ、担当が別れたりもするが、以前は「失礼します」の一言で清掃の女性が入ってくるということも普通にあった。流石に日本固有の習慣らしく、フランス人の男性の知人が来日中にだいぶ焦ったとぼやいていた。している最中に女性が入ってきたが、急には止められない。最近の男性用便器は清潔さを保つため仕切りがない事も多く、多少は他人のものが見えやすい構造だ。こんな事情で個室が使いたい人もいるし、手術した関係で個室を使いたい人もいる。だから現在でも必ずしも男性用個室が十分とは限らない。
 困るのは、個室でズボンを下ろすと裾が床に付きそうで、なんとなく不衛生な気がする事である。女性向けにガウチョパンツの裾をまとめるおしゃれなベルクロのテープが売られていたりするが、自転車に乗る人は、自転車用の裾をまとめるテープを使うといった話も聞いた。
 加えて、男性は身体の構造上、膝を開いて用を足したい人も多く、そうなると足首までズボンを下ろすからテープでも足りないという問題もある。きれいに清掃されていれば気分の問題でしかないのだろうが、案外悩みの種である。個室を使うのに立ってする人もいるから飛び散ってしまっている事もあるし、なかなか根の深い話なのだ。
 出先では個室で膝上まで少しズボンを下ろすだけにして裾が床につかないよう気を使うが、自宅では普段からきれいに掃除しておいて、全部脱いで横に畳んでおいて用をたすという知人がいた。まあ、確かに自分も自宅では脱いでしまう事もあるので、そんな人も少なからずいるのだろう。
 因みにヨーロッパでも最近は座ってする男性が多いそうだ。理由は同じく衛生的だから。ただ、公衆トイレを誰もが綺麗に使うとは限らないから、座りたくないという事情も理解できる。
 この「きれい」の意味にも時代があって、バブル終わり頃のきれいは「衛生的」ではなく「おしゃれ」の意味合いも強かった。便器全体が黒だったり、汚れが目立たないベージュだったりしていたが、水道設備屋さんによれば、今は清潔感があって汚れが分かる白しか売れないそうだ。
 昔はある高層ビルの男性トイレは床までガラス張りで遠くまで見渡せるようになっていたが、そんな場所は落ち着かない上に、外から丸見えなわけで、程なくして改装された。一番使いにくかったのは前に壁がないタイプで、他の人が前に回れるような構造ではもちろんないが、便器自体は腰くらいの高さしかないからどうやっても他人がしている姿が見えてしまう。おいおいと思いながらも生理現象には勝てず、割り切って使ってはみたが、皆さん躊躇している様子で人がいなくなるのを待つ人もいた。という事で、こちらも程なくして改装された。(場所は書きません。ご了承下さい。日本国内です。)
 高校生くらいまでは学校のトイレで個室に入るのをためらうという話もあった。もちろん危険なのではなく、恥ずかしいからなのだが、今はどうなのだろう。少なくとも自分の世代はあまり良い印象はない。不思議なことに個室なんだから何も見えないわけで、一番気にしなくても良さそうなものだ。でも、20代くらいまでは、なんとなくトイレは落ち着かない場所だった。知人とスキーに行って温泉につかる時は裸のまま隠しもしないのに、トイレは気になるというのも妙な話ではある。
 そのスキーやマリンスポーツの着替えも不思議な感覚がある。
 今でこそサーフショップなどで更衣室を提供していることも多いが、少し辺鄙な場所での着替えは車のドアを開けて衝立にしていたことも多かった。いわゆるワンボックスカー(ミニバン)のリアハッチを跳ね上げ、上から3方をカーテンで囲うと、運転席側から覗き込まない限りほぼ見えなくなる。その運転席側にもサンシェードをつけてしまう。水タンクを屋根に乗せて一日放っておけば、少しとはいえ、夕方には暑いお湯をシャワーとして使える。そのお湯が使えて囲われたスペースは女性用の更衣室である。さすがにあえて無理やり覗き込めば見えないこともないが、そこは見ないのがマナーというもの。
 男性は順番待ちするのも時間がかかるから、車をとなり合わせて止めてドアを開け、バスタオルを窓ガラスにかけて着替えてしまう。タオルを腰に巻かないのかと聞く人がいるが、砂とかも入り込むので裸になってよく拭いたほうが良いし、見えないなら同じことである。
 少なくとも道路側からは全く見えないのがポイントで、海側はあまり気にしない。そうやって裸になって体を拭いていたら、着替え終わった女友達が海側を通って見ていたなんて話もあった。「何見てんだよ」と言った知人はこう言い返されたそうだ。
「ちょっとくらい見たっていいじゃん。減るもんじゃなし。A君とだいたい同じだよ。」
マリンスポーツをやっていると慣れたもので、それくらいいい加減な事もある。「まあ、確かにスキーに行って安宿で着替え場所を借りたら、着替え中にバイトの女の子が通過してったことがあったな」なんて笑ってたら、「まあ、こっちも見てるからお互い様だけど。」だそうだ。

大学1年生だったかの体育の授業は、今でもネタで見ることがあるのできっと一般的なものだったのだろうと思うが、なかなか笑える性教育というのもある。センシティブな年齢に対する教育だが、今どきもその当時も20才直前なら性を知らないわけがない。ただ、あけっぴろげに会話する内容でもない。そんな雰囲気の中での授業である。
大抵は模式的な図を使いながら性差を説明し、生物学的な表現で受精を取り扱う。自分の時代と今の違いは、責任に加えて思いやりの説明がかなり追加されたくらいだろう。大半は「なーんだ知ってるよ」という内容ばかりである。大学生相手にどうしてそんな授業があったのかはよく分からないが、きっとトラブルが起きやすい年齢だからなのだろう。
授業の締めくくりは、特に男子学生に向けたメッセージだった。
「皆さんは、身体も概ね大人として完成し、大人としての責任感もだいぶ出てきたと思います。異性を見ればドキドキするのは自然な事です。親しくお付き合いしたりする事もあるでしょう。大人としての責任感を持って振る舞って下さい。特定の異性に性欲を感じるのも自然なことです。でも、相手も同じとは限りません。節度を持って、相手を思いやって下さい。我慢出来ないと思ったら思いっきりスポーツをして、汗を流し発散しましょう。陸上部で待ってますよ。」
冒頭で書いた「皆さんは殺しても死なない年齢です。」と暴言を吐いた同じ先生だったような気がするが、定かではない。そもそもスポーツで発散できるわけないだろう。そんなクスクス笑いが出た所で先生はこう付け加えた。
「そう言えとこのガイドライン本に書いてあります。お前、そんな事言ってるけど、若い時にスポーツで発散出来たのか?って聞かれたら、無理ですね。」
と本音を言う。
「スポーツで発散できるわけがない。バカな事言うなって思いますよね。誰だこんなテキスト書いたのは。」
先生は、本をバンバンと叩きながら呆れていて、クスクス笑いが起きる。
「授業で隣になった好みの同級生見て、ちょっと胸元が空いてたりすれば男子はムラムラしたりする事だってあるんです。恥ずかしい事じゃない。特に若い時には自然な事です。男性諸君は家に帰っても悶々としていたら、性欲は自分でコントロールして下さい。正直、陸上部で走ったって満足しません。
はい、一番重要なこと。嫌がる相手を無理やり誘ったらダメです。あなたの欲求と相手の気持ちは別です。自然である事と欲求に任せる事は別です。」
そこから先はあえて書かないが、かなり際どい実践的な話をいくつか続けて授業を終えたのだった。今思えばあの当時によく思い切って説明したなとつくづく思う。当然だが、それまで半分寝ていた学生も、皆が真剣に聞いていた。
今どきは男女関係なくこんな話が出来るようになってきたから、その意味では歯磨きが当たり前になったのと同じで、性が異なるとどう違うのかもある程度理解出来ている。良い方向に進んでいるのだ。きっと保守層の偉い先生方は目くじら立てて怒っているのだろうけれど。