
レオナルド・ダ・ヴィンチ作「聖アンナと聖母子」は、ルーブル美術館に無数にある傑作のなかでは穴場である。展示室というよりは廊下に掲げられたその作品は、天を指し示す「洗礼者ヨハネ」と共に、静かに来場者を待つ。三角形に配された安定した構図と穏やかなトーンは、ゆっくりと眺めるのが一番あっている。未完とはいえ、ダ・ヴィンチが最後まで持っていた3枚のひとつである。完成度も高い。
巨大な作品が多いルーブル美術館では小ぶりな作品であるが、けして小さくはない。むしろ、目に付く作品である。しかし、ありがたいことに、その周りは混雑していない。足速に通り過ぎるひとがほとんどであって、せいぜいとなりあるヨハネと共に一瞥をくれて立ち去る程度である。なるべく空いているであろう平日の午前中を狙い、訪ねたら、絵を独占して飽きるまで眺めるというのが良い。時間が許されるパリ在住者が羨ましい。
その一方で、モナリザは、渋谷の雑踏のなかで人と人との隙間からちらりと見えた知人を捜すかのようである。ルーブル美術館まで行って、見ないで帰るわけにもいかないだろうが、やっと見つけたその知人は、ショーウィンドウのガラスの向こうにいて会話もできない。せめて写真だけでも撮って帰りたいところだが、人混みのなかではそれも難しい。ルーブル美術館には、いたるところに記念写真のスポットがあるが、恐らくは一番難しいのがモナリザであり、その次が「サモトラケのニケ」やドラクロワの「民衆を導く自由の女神」だろうか。ともに高さが3mを超え、写真に収めるには少し離れなければならないからである。
ヨーロッパの美術館や博物館は、フラッシュさえ焚かなければ、写真撮影が許可されている場所が多い。研究のためにというより観光目的がほとんどだろうが、好きな絵とともに写真に収まったりあとで思い出したりするために撮っておくのは、多くの人の期待に沿っている。何故、日本ではほとんど許可されていないのか知らないが、権利面あたりにでも何か理由があるのだろう。
よく言われる混雑緩和や絵の傷みへの対応というのは、分かったようでわからない理屈である。混雑していれば、撮影を終えて先に進むよう促せば良いことであるし、写真は反射光をセンシングしているだけだから、フラッシュを焚かなければ絵が傷むことはない。
かつて品川にあった原美術館のオトニエル展は、その意味では、写真撮影可能な稀な展覧会であった。現代作家であるとは言え、作品を前に構図を考えることができるだけでも愉しみは何倍にもなる。
ドイツ北部に位置する街、ハンザの女王リューベックには、トーマス・マンゆかりの博物館ブッデンブロークハウスがある。実際にトーマス・マンの祖父母が住んでいた家であり、トーマスマンとその兄ハインリッヒゆかりのものが多数置かれている。訪ねたのはずいぶん昔のことであるが、ここもまた、写真撮影が可能だった。リューベック自体が中世の様子を色濃く残すフォトジェニックな街であるが、トーマス・マンの時代も現代もずっと同じく生活が続いているのではないかと勘違いしてしまいそうな旧市街の佇まいが、いっそう旅愁をかきたてる。ホルステン門から中に入った瞬間から感じられる独特の雰囲気が、恐らくはそう感じさせるのだろう。木組ではなくレンガを主体としたまちづくりが、他の街との違いを際立たせるし、運河もまたこの地固有の雰囲気をあらわす。
その雰囲気をゆっくりと味わっていたからか、ブッデンブロークハウスに着いた頃には夕方になってしまった。あと30分で博物館が閉まる時間である。来たからにはざっとでも見ておきたいというつもりでトーマス・マンゆかりの展示を見ていると、学芸員が近付いてくる。はい、閉館ですね、と思って身支度を整え始めると、学芸員は思ってもみなかった事を話だした。
「ここは、写真を撮ってもいいですよ。トーマス・マンはお好きですか?せっかくいらしたのですから、自由に写真を撮ってください。」
肩からカメラを下げていたからだろうが、わざわざ写真を撮って行けという。
「どちらからですか?日本でしょうか?リューベックはあまり知られていないので、日本の方は珍しいですね。私はまだしばらくいますから、是非、ゆっくりと見てください。今からあなたの貸し切りです。」
ロシュトック行きの列車でリューベックに向かうと、その途中で東ドイツに行くならビザが要ると言われた時代である。確かに、日本人は少なかったのだろう。気を遣ってくれたに違いない。さすがに申し訳なく早めに帰ったが、それでも30分近くは閉館後に居たかもしれない。迷惑な客である。
そのずっと後になるが、アヴィニョンのプティ・パレ美術館でやはり写真を撮って良いとわざわざ言ってもらった経験がある。こうなると、もはや、撮影禁止か撮影許可かの違いというよりも、撮影禁止と撮影推奨の選択ではないかと思えてくる。
もちろん、ヨーロッパにも撮影禁止の美術館はある。ちょうど特別展示をやっていたりすると、普段大丈夫でも、その期間だけはだめということもある。ミュンヘンには大きな美術館があるが、ここでは、カメラを肩から下げているだけで、すぐに係りの人が飛んできた。
「ここでは撮影出来ません。」
撮影する予定はなかったからクロークに預けて戻る。すると、またも係りの人が駆け寄ってきた。
「協力に感謝します。ここは、あなたのような方の協力があって運営されています。ありがとうございます。」
美術館の職員ではなく、ボランティアということのようであった。カメラをクロークに預けて来ただけで、握手する手を両手で握られ感謝されると、所在ない。なかなか指示に従ってもらえないということではない。皆で文化なり美術館を護ろうということであり、人に感謝することでそれが成立しているということだろう。
日本は高度成長期を経て社会が成長し、クルマよりヒトが優先されるような社会となったといったことを聞いたことがある。確かに、横断歩道で待つ人を無視して通りすぎるクルマが多いが、人が車の間をぬって道を渡るような社会ではない。しかし、駅前の混雑のなか歩行者が続き、そのため渋滞しても知らんぷりという社会でもある。一方、人が車に道を譲る社会もある。一見、車優先の社会と似ているが、譲るという点で明らかに違う。
美術館における写真の「禁止と許可」を「禁止と推奨」と置き換えた時、この人と車の関係がどこか根底のところで関連しているような気がしてならない。「写真を撮っても構いません」と言われた時、そこには、許可以上の背景がある。
(この文章は、2012年に書いたものを一部改変したものです。)