
正月に咲く水仙は、春らしさを最初に感じる花であるとともに、どこか寒さも思う花でもある。冬のまだ弱い日差しに咲く小さな花を見ていたら、小さな蜂が現れた。ここにも春があるのか、まだまだ続く冬に備えて忙しいのか、見ている側の心のうちが透けて見えるような気がして落ち着かない。
そんなことを考えること自体、どこか自己愛が出ているような気がすると思ったが、そもそも水仙は英語でもナルキッソス(narcissus、英語の発音はナーシサス)であって、湖水に映る自分に恋焦がれた罰として水仙になってしまった自己愛の象徴みたいな存在である。完全に見透かされたらしい。