Bonne journée, Photo

客船


 時々そこがどこかわからなくなる事がある。
 紛れもなくそこは、捻じ曲がった木とコンクリートとどこかに行きたいという願望とで出来た横浜大さん橋埠頭なのであって、行政上は中区海岸通りと記号化されているのだが、そこに停泊する鉄の船とその船から降り立つ人々の無数の言語とがどこかに記憶されているかどうかは甚だ自信がない。「あれは確か…、」と思い出そうとする。その先に赤れんが倉庫。
 カメラのファインダーを覗き込んでシャッターを押すのを忘れたように、指先の冷たい金属が温まって感触が定まらず、船の名前すら思い出せない。そのくせ3万トンの船だと見立てたシルバーミューズが4万トンであると機械的に情報を羅列するiPadを見て、以前に見誤った飛鳥Ⅱが5万トンだった事を思い出す。どのみち想像力とは無縁の数字の羅列。
 ポートサイドを桟橋に寄せて停泊するのは昔から続く商船の慣わし。そんな時代がかったことなど今更守る事などないと思いながらも、シルバーミューズの船尾を眺めて確認する。その向こうには放水する消防艇と貨物の積み出し港。
 時々自分がどこにいるのかわからなくなる事がある。
 誰もが行こうとする海側を歩きもせず、銀杏の黄色く濁った匂いを嗅ぎながら、バスが通り過ぎるのに気づく。パスポートセンターの入り口は遠く見えない向こう側。中国語である事以外何もわからない声が頭の上をふらふらと通り抜け、保育園の子供達が緑に刈り揃えられた芝生を駆ける。薔薇が咲き揃わない10月。水先案内人はまだ出番には早い昼前の停滞する時間。昼食には未だ見ぬシンガポールの焼そばを食べよう。
 時々自分がどこにいたいのかわからなくなる事がある。

2 thoughts on “客船”

  1. tagnoueさんのいつもの文章のスタイルって、どんなのだったっけ?って、以前の投稿にもどって読み比べてしまいました。笑。
    どちらも、やっぱり、tagnoueさんです。音調というか、聞こえてくる(自分で思い浮かべる声のトーン)がtagnoueさんです。いつも「ふぅ」っとその場に立ち止まって静かに流れる思考、がalmost visually にシンクロするように浮かんで来るのがtagnoueさんの文章です♪

    1. Papricaさん、ありがとうございます。こんなふうに読んでもらえたらいいなと思うのは、ある意味書く側の身勝手みたいなところがあって、時々自信がなくなるのですが、思うところが伝わっている気がしてとても嬉しいコメントです。
      今回はちょっと記号を多用してみました。地番だったり固有名詞だったり専門用語だったり。それを飲み込むように読んでいただけたら成功です。

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