
夏の光が次々とこぼれ落ち始めて、もうこれで少しくらい寒い日があってもそれを受け入れられそうだなどと勝手に決めつけてからいくらも経たないうちに、ツンと酸味が鼻に抜けるようなシードルの香りも足首に抜ける青臭い風もすっかり忘れ、冷え切った雨が錆色の石畳を濡らす遅い春が戻ってきてしまったようだった。もはや掴みどころのない不安でも不確実な明日への焦燥でもなく、単に果てしなく続く倦怠感の深さを表すだけとなった毎日の数字に、乱雑なカフェでのおしゃべりと時計仕掛けの職場に揺れるマスクとが今日と明日との隙間を行ったり来たりする。少し行き過ぎた夏の日差しを冷やすには程よい雨が、夜10時を過ぎてようやく夕暮れを迎える夏至の悪徳を洗い流す6月の終わり。もう夏は来ないのだと、すれ違う自分がささやいたような気がした。まもなく不愉快な汗が楽しみになるはずと、冷気が流れ込む窓を閉めようとする自分が言い返した。
夏の暑さが来ると同時に屋外でのマスク着用の義務も無くなったフランスは、羽目を外した大騒ぎとそれに眉を顰める人々とのバランスで成り立っているようにも見える。一部では目立って新規感染数が増え始めているとのことで、来年に大統領選を控えた今は打つ手が少ないのだろうか。