
やれルネッサンス期だとか、いやローマ帝国の時代に遡るとか、いにしえに想いを馳せながら想像するよりも、ページ番号を囲うようにくだらない落書きの書かれた古い教科書でも見たほうがまだ現実的だと思うのである。もちろんルネッサンス期などと分かったような言い方をしたところで一体それが何年前なのかは意外に分かっているわけでもなく、ましてローマ帝国など2000年前だろうが1900年前だろうがさして違いもない。それでもルネッサンスと聞けばダヴィンチが思い浮かぶだろうし、ローマの大都市に水を運ぶ水道橋の威容を思い出してWebで調べようかなどと考えるかも知れない。ただ、それらは記録としての歴史の隅っこに確実に存在していて、やがて現れるプラスチック製の現在に着実に繋がっている。
しかしである。そんな歴史の現実から少しばかり外れた場所にそれはある。自分の目で見たところで、どこか現実的ではない。よほど教科書でも見たほうがリアリティがある。だから有史以前などと言われたりする。どこにあったのか巨大な石を集めてきて、それだけだって大変だったろうに積み上げてもいる。そんな大変なことをしたのだから、きっと宗教的な意味があるに違いないなどとも言われるが、大変なことをした理由がわからないと言っているに過ぎない。石を積み上げたら、たらふく美味しい料理が食べられたからこそそうしたのかもしれないではないか。どうして石を積み上げて食事ができるなどと聞いて欲しくはない。そもそもどうやってこの石を積み上げたのかすらわからないのだから、何だって良いではないか。

日本語では支石墓という。だからと言って墓であるとは限らない。ヨーロッパではドルメン(dolmen)とも言うが、この言葉にも意味はない。ブルトン語で石の机の意味であって、このドルメンが数多くあるフランス・ブルターニュ地方の人が地元の言葉で石の机と呼んだに過ぎない。結局は何だかわからないのである。ただ、その分からないドルメンは、フランス西部を中心に夥しい数が広がっている。5000年以上もよく残ったものである。もっとも人の背丈よりも何倍も大きいこんな石を動かそうだなどと、誰も考えなかったのかもしれない。なんとも非現実なものがそこにある。