Bonne journée, Cross Cultural

AC9

taken with iPhone

Written only in Japanese.

依然として憂鬱な空気の流れる2006年が2007年に替わろうとしていたころ、ほとんどの人にとって何の変哲も無いいつもの年の「替わり」目、ひょっとするとそれは「変わり」移ろうとしていた節目だったのかも知れない。最近そう思い始めた。

このところ、何かを思っては写真を撮ってポストし、長めの文章といえばせいぜい仕事上の報告書を書く程度。その上、仕事で書く文章の原則で、簡潔で味のないぶっきらぼうな表現ばかりだからキーボードを延々と叩くことも少なくなった。だから、時々iPhoneで個人的なことをメモ書きしていると、妙に文章にレトリックを挟み込んでいる自分に気づく。そして、ふと思うのである。いつでも文章が書けるから表現にこだわったり、思いもよらなかったことをメモ書きするのだろうと。

taken with iPhone

2007年といえばデジタルカメラ全盛期であり、各社がこぞって新機能を宣伝し、ミノルタの資産を受け継いでソニーが一眼レフを発表した年である。携帯電話で撮った写真は鑑賞するにはいまひとつで、どうしても普通のカメラが必要な瞬間があって、携帯電話のカメラはメモ書きの範囲をなかなか越えられなかった。テキストを書こうとすれば、全体を俯瞰するには液晶は小さく、シンプルな文章をメモしてはPCに送って編集するほうが簡単だった。そしてその年、iPhoneがデビューする。

今、iPhone上で文章を書いている。フルキーボードの速度には敵わないが、使いたくないなどと思うほどにはストレスはない。そうやって書いた文章は、クラウド経由でどこでも同期する。通勤の途中で見つけた朝露に光る花壇の風景も世界中の誰かとシェアされる。実は、クラウドの代名詞となったAmazon elastic compute cloud(EC2)が発表されたのが2006年であり、2006年から2007年への変わりゆく時代は、そんな変化の時代であったのだ。紀元前(BC)と紀元(AD)になぞらえれば、さしずめbefore iPhone(BI)とAnno Cloud(AC)といったところか。2006年は1BI、2007年はAC1であって、今年2015年はAC9となる。くだらない遊びではあるが、個人的には腑に落ちた。

taken with iPhone

くだらない話ついでに書けば、この文章を書きながら今更気付いたことがある。ローマ建国の紀元前753年は、英語表記では753 BCであってBC753ではない。BCの意味を考えれば当たり前である。だが、これまで意識して考えたことなどなかったのである。多分に宗教的な側面もあって不愉快に感じるひともいるだろうからこれ以上は触れないが、こんなことに気づくのも、文章が見渡せるからだろう。

さて、ついでのついで。ローマ建国は紀元前753年である。千歳飴でも思い浮かべて覚えれば、妙にマニアックなクイズで正解するかも知れない。

Books

A Book:知の逆転

20130519-001朝日新聞の書評を見て、あぁ、こんな本があったのかと入手した。世界で注目され続ける知的好奇心にあふれる人達のロングインタビュー。しかも、個人的に気になっていながら、どこか違和感も感じて読むのをためらっていた本の著者ばかりである。ジャレド・ダイアモンド、ノーム・チョムスキー、オリバー・サックス、マービン・ミンスキー、トム・レイトン、ジェームズ・ワトソン。ベストセラーの要素という文脈からは遠いが、どういう訳か書店に文庫本が平積みされているような著書のある研究者ばかり。期待せずにはいられない。

書評でとりあげられたので、恐らくは似たような感覚で読んだ人も多かったのだろう。Amazonでもあっという間に品切れとなった。本好きというのはそうしたものである。ベストセラーであろうがなかろうが、知らなかった面白そうな本を見つけると、ともかく読んで見たくなる。やれ帯の文句が良さそうだとか(怪しいぞとか)、この訳者なら間違いないとか(読みにくいんだよなとか)、表紙見ただけで面白さが分かるとか(きっと不本意なデザインだぞとか)、そんなたわいないことも読む理由となる。昔なら書店で一冊取り出しては唸って選んでいたのがオンライン化しつつあるという違いはあっても、本好きの行動に大きな変化はないのだ。もちろん、オンラインだと前書き読んで買うのは止めたというのは難しい。だから、手に入れると、少々不安を感じながらページを繰ることになる。この本は、その点、概ね内容を把握出来ていたので安心して読み始めることが出来た。出来た筈だった。

しかしである。実際には、前書きを読み始めて3行で疑問符がつくこととなった。つまり、あまりに論理の飛躍が大きくはないかと。それはそのまま、例えばジャレド・ダイアモンドに違和感を感じてためらっていた理由そのものでもある。

著者であり編集者でありインタビューアでありその翻訳者である吉成真由美はその前書きで言う。

そのうえインターネット時代になって、受け取る情報がやたらに増え、難しさがぐっと増してきている。情報を得ることと、それを判断して考えることとは全く別の脳作業となるから。

確かに情報を集める努力とそれから考えをまとめる努力には大きく異なる能力が要求されるように思われる。だからと言って、あふれる情報を前にして、それを引出しに整理するのが精一杯で考える事が困難となると言うなら、それは論理の飛躍というものではないか。そう感じるのである。

そうした違和感と同様の前書きへの反証は、実はインタビューの中でも語られる。ひょっとすると、著者はそのような効果を狙ってステレオタイプな視点を前書きに入れたのではないか。

インターネットで世界中の情報が間違いも含めて簡単に手に入るようになったというのは、紛れもない事実である。高度な(いや低脳なというべきか)検索エンジンは、信じられないほどの適切さで情報の山を提示してくる。適切さという表現が正しくないなら玉石混交としても良い。少なくとも、間違いも含めて情報が素早く得られる事に異論は少ないだろう。その中から、正しい(これもまた曖昧な定義だ)結論を導く事ができるかどうかは別な能力だ。この結論を導く行為、あるいは考える行為に時間をかけることが出来るようになっただけでも、考えることが難しくなったということとは大分異なると思うのである。

ご丁寧にもインタビューの大きな流れはある程度統一されている。3人目ともなれば、次にどんな質問がありそうかという程度ならある程度想像がつく。その期待値と回答の差異もまた面白い。通り一遍の事を答えたなと感じることもあれば、意外性のある回答もある。勿論、読者の持つバックグラウンドにもよるだろう。インタビューアと異なる見方を持っているから意外性を感じるところもあるかもしれない。だが、恐らくはインタビューされる側の知的好奇心によるものが大きいに違いない。同意するにせよしないにせよ、読者もポジティブな好奇心をもって読むのが良い。そして、とりあげられた著書と最後の質問の作品から、次に読みたい本を選ぶのだ。

「知の逆転」でとりあげられた本のために、既に長い読みたい本のリストがさらに長くなって、もはや、手元のリストは次に読む本の買い物リストから次に読む本を選ぶリストになってきた。そろそろ何を読むかを決めて、読まれるのを待つリスト、ひと昔前なら「積ん読」リストに加えなければならない。

ただ、これだけは最後に正直に書いておくべきだろう。「知の逆転」読了後も、今もってこのタイトルの意味はわからないのだ。面白いと感じながらも何ともすっきりしない不思議な本である。

 

最近読んだ本

知の逆転 (NHK出版新書)
吉成真由美 インタビュー・編

奇想の系譜 又兵衛-国芳 (ちくま学芸文庫)
辻惟雄 著

赤瀬川原平の名画読本 鑑賞のポイントはどこか (光文社知恵の森文庫)
赤瀬川原平 著

それでも住みたいフランス (新潮社)
飛幡祐規 著

Bonne journée

Bonne journée (15)

20130406-001今週は激しい雨とすっきりしない晴れ間に何とも憂鬱な日々となったが、週末もまたしても暴風とは!仕事に追われて、わずかな自分の時間をゆっくり過ごすしかないのでは、気分まで雨降りのようになってしまいかねない。そんな時は、これ幸いと読書に勤(いそ)しむのが正解である。

先週読み終えた本のメモ書きをまとめる事もしたいが、あまり義務感のようになるといい加減になりがちだから、書評は来週以降に回すことにした。まずは、読書で頭に栄養補給である。

なんだか文章まですっきりしないので、最初の写真は、早朝の日差しと決めた。せっかくこのblogを訪ねて読んでくれている人がいるのに、すっきりしないだけでは申し訳ない。 Continue reading “Bonne journée (15)”