Bonne journée

Bonne journée (14)

20130323-004

東京で桜が満開といつもの年より早めに聞くと、今のうちに春らしい写真でもアップしておかないと出遅れたような気がしてしまうのは、あまりにblogに囚われた感覚か。ネットワークが動機であっても、それでも今年も桜の季節は巡ってきた。川沿いの桜並木は色とりどりのレジャーシートがパッチワークとなり、近くを通る人が花見の相談をしているのが聞こえてくると、淡いブルーとピンクの世界と賑やかな世界の境界線が見えるようである。

一方、桜でなくても春らしい花はそこかしこで自己主張を始めている。喧騒から離れ、静かに風に揺れる様子を見れば、どこかゆったりとした気分になる。

20130323-001こころなしか南の国のおおらかさを感じる木蓮の紫もあれば、広がり始めた緑の隙間の影でひっそりと輝く青もある。雪柳の白は、色の少ない冬から華やかな春への橋渡しの様でもある。

20130323-002だが、色使いの地味な姿に春らしさを感じるものである。土筆が気がつかない間に出ているのを発見してふと頰が緩むこともある。

20130323-003今回の写真は、すべて横浜の住宅街でiPhoneを使って撮影している。このiPhoneのカメラがなかなか難しい。土筆の写真もピンボケというか、ピンが奥になってしまった。ちゃんとスクリーンをタップしてるのだが、思う場所にピントが合ってくれない。

そこでふと思う。また、テクノロジーを気にしてると。

今日も良い一日を。

Bonne journée

Bonne journée (8)

20121216-002新潟に暫く住んでいたことがあるからか、冬の海と言えばグレーというイメージから離れられない。雪が降り積もった海岸は、黒く沈み込んだ砂のグレーがくすんだ雪の白と曖昧な境界を成す。横浜のどこか華やかさも感じる降雪を無理に重ね合わせるよりも、落ち着いた愁いをイメージしたほうが、むしろ郷愁にも似た影の部分を感じて美しく思えるようでもある。海から吹きつける強風に傾いだ防砂林の松もそれを強調するかのようである。
とはいえ、そのような感覚は、春先には当てはまらない。新潟の春に降る雪は、厳しい季節が終る事を予感するための雪でもある。
20121216-001横浜の冬の海と言えば、特にクリスマスの頃であれば、煌びやかなイルミネーションや透明感の高い空との組み合わせでイメージするだろうか。夜の海に反射するビルの光が不安定に揺れ動くのも、中華街のランタンの赤い光と同じようにクリスマスの輝きのようにすら感じさえする。
その一方で、冬の朝の晴れ渡った空と海は、その境界を金属のような輝きで覆い隠し、ひたすら凍った青である。まして、凍えた水分を遥か北の山脈にふるい落とした風が吹きつける時、穏やかな時間が流れる海はそこにない。海は、春を迎えてようやく落ち着きを取り戻す。

20121216-004永遠の6月バハマの海は、3月であっても輝き続け、3月のコートダジュールは、凍ったアルプスから吹き下ろす強風も影を潜めて穏やかな陽射しに包まれる。南房総の3月は、さまさまな色に覆われた丘を越えて波音を遥かに感じ、沖縄は、夏の喧噪も遠い透明さをまだ守っている。まだ、12月だというのに3月の海を思うのは些か気が早いか。だから、12月の海は切なく美しい。

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