
オンライン上での知人が、写真が好きだがカメラという道具にもわくわくすると書いているのを見て、少し羨ましくなった。もう、カメラを道具として見ることが出来なくなっている自分に気づいたからだ。
カメラ開発に直接関わってきたわけではないが、開発者と会話をする機会は多かった。困っている事を聞き、その対処を一緒に考える事も少なからずあった。そんな開発の現場にはたくさんの夢があったが、それは技術開発の夢であって、カメラを道具として見ていたわけではなかった。それが正直なところだ。
誤解があるといけないから書き添えておくが、カメラに関わる仕事をしている誰もがカメラという道具に夢を見なくなっていたわけではない。こんなカメラが欲しいといった話も聞いたし、カメラを片っ端から買ってたくさん持っている人もいた。ただ、それは自分が関わる技術開発の現場からは遠い場所の話だった。車だったら世界一速いスポーツカーが欲しいとか、どこでも走れる世界一ラギッドなSUVが欲しいとか、そんな事はもう思わなくなって、適切な価格で1リットルあたり30キロ走るエンジンを作らなければならないというのが目標だったというのがわかり易いだろうか。
自然と道具としてのカメラには興味もなくなり、iPhoneで撮った写真を見ながら、もうこれでいいねなんて思うようになったのだ。トドメの一撃はよく覚えている。
「何十万円ものお金を出してるのに、バカ高いレンズがないと撮れないカメラなんでしょ。」
と言うのを聞いた時だった。
「しかも、SNSにもアップ出来ないなんて…。」
昔は写真を撮ったらプリントして飾ったりしていた。24枚しか撮れないフィルムだから、自分の撮りたいものは何かを考え、じっくり狙ってシャッターを切った。その大切な表現のために使う道具だった。デジタルに移行してしばらくは、メモリーカードも高かったから、少しだけ似た文化も残ったのも確かだ。
でも、今はいくらでも撮れるし、撮り直しも効く。額に入れて飾ったりしないから、印刷する事よりSNSにアップできる事の優先度が高くなった。つまりは、馬鹿みたいに高いお金を出してカメラを買うなら、スマホの方が便利で綺麗に撮れると考えるのは、自然な事なのだ。
そうなると、自然と道具としてのカメラに要求されるものは違ってくる。便利にお手軽に撮れるものか、やり直しの効かない業務用か。美しいデザインよりも、使いやすいかどうか。それに向かって技術開発は進む。そこに夢なんてない。
道具というものは、便利でお手軽なものが求められるようになると、急激に廃れてゆく。もっと正確に言えば、日常の当たり前になる(コモディティ化なんてかっこよく言う)。だから、安くて必要な機能が満たされればそれで十分と見做されるようになる。連絡をしたり、調べ物をしたり、SNSを見たりする機能にカメラ機能がついていて、そこそこ美しく(コントラストが高めで)撮れれば良いと思うようになるのだ。
もちろん、一部のユーザは、道具としてのカメラそのものに価値を見出したりもする。
「このカメラは暗所でもノイズが少なくて、ISO感度12800でも実用になるんだよ。しかも秒20コマ。」
正直、意味が分からない人も多い会話だったりするが、これが重要な人も少なからずいる。
「このアルミのローレット加工が綺麗だよね。フィルム時代と同じ。」
こちらも多くの人には意味不明かもしれない。
スマホには難しかった暗所性能も、画像処理高度化で、カジュアルな撮影に使う分にはなんとかなるレベルにはなってきたが、カメラそのものに価値を見出す人にとっては、さして意味がない。
書き出したら際限がないが、要は、カメラというものが持つ技術的な課題をひとつひとつ解決して、より良くすることを積み重ねてきたことで、カメラは旧来からのカメラではなく、カメラ機能そのものに変わってきたのだし、カメラという機械は工業製品ではなく、それ自体がコンテンツになってきたのだ。
個人的なことを言えば、その変遷に関わってきた自分には、カメラ機能はスマホで十分に満たされているし、カメラというコンテンツには興味を失くしてしまっている。せいぜい、iPhoneには望遠用レンズは必要ないが広角用レンズは欲しいななんて思う程度である。
歴史的なカメラを見ても、近代史博物館に並ぶ二槽式洗濯機を見ているのと変わらず、面白いがそこに美しさも感じられない。「この時代は、まだ電子接点がなかったからなあ」なんて技術の古臭さだけが強調されてしまう。歴史として保存したいものだが、自分の家にあれば金属クズにしか見えない。若い時にすでに古くなっているのを手に入れたCanon F-1もOLYMPUS OM-1ももうどこかにやってしまって行方知れず。興味を持っていたからこそ多少古臭くても手に入れたのだが、興味を失くせば管理もしなくなる。
これが、自動車だったら違うのだ。お金がかかって維持できそうにないとは思っても、MG-Bのクラシックカーをガレージに置いて時々乗ったら楽しいかななどと考える。
やれやれ。
とはいえ、カメラに興味を持って話をしている人を見かけると嬉しくなるのもまた事実だ。多少は関わってきた事だから、その自分の関わった仕事に興味を持ってくれているのは正直嬉しい。それどころか、羨ましいとすら感じている。カメラ自体をコンテンツではなく、道具と見られるように戻れるなら、なんと面白そうなことか。
たった一つの救いは、写真というコンテンツには、未だに興味を持っているということだ。だから、写真にはカメラ名とか撮影パラメータを書いて欲しくない。写真にカメラ名が添えられているだけで、自分にはそれが写真ではなく、カメラというコンテンツのカタログになってしまう。写真は写真として、それを落ち着いて楽しみたい。写真がiPhoneで撮影されたものでも一向に構わない。写真が良ければ道具はなんでも良い。ここで写真に興味を失ったら、何も残らないのだから。