電車の中でぼんやりしていたり、道を歩いていて前を歩く集団があまりにゆっくりであったりすると、どうしても耳に入ってしまう会話がある。聞いては失礼だと思っても、聞き逃したいない話もあれば、聞きたくないのに聞こえてしまう話もある。
すっかり忘れていたダイアローグシリーズだが、先日、近くにいたふたりの会話を盗み聞いて、急に書くことにした。
「今日、じしんあった?」と先輩。
「んん〜揺れてた。」と後輩。そして沈黙。
何があったのか、会話の進まないふたり。浮かない表情で終始した会話は、会話の定義を見直す必要がありそうなほどに視線が交差しないままに消えていった。僅か数分。明らかに聞こえた会話はこれだけ。あとは小声でひとことふたこと。仕事の合間にする会話とはいえ、あまりに寂しい。
さて、「じしん」とひらがなで書いたのは変換ミスではない。ふたりが去った後でもそれが「自信」であったのか「地震」であったのか、未だ判然としないからである。打ち合わせの席での提案でもあって、出席者を説得できなかったようでもあり、午前中の小さな地震を確かめたようでもあり、その意図はなんとも分からない。ひょっとすると、会話するふたりの間ですら、会話が成り立っていなかった可能性もある。
そして、しばらくして思いあたった。会話である必要すら無かったのだろうと。

沈黙したままのほうがよかったのかも・・・。
でもそれを実行するのって辛いときもあったり。
言葉を発するのって結構難しいです。
そう思わず日々を過ごせるのが理想ですね。
気兼ねなく沈黙を味わえる関係は素敵です。
そうですね。ちょっと頭の中でぐるぐると考えてしまいましたが、当人達には自然な会話だったのでしょうね。