Cross Cultural

Where is Steve

20130928

日本語は後半に

One week of exciting, thrilled and bit strange experience has been passed after my usual updating the OS on my iPhone. As you know, it was same as the well known formula Apple had. A lot of improvements and new functions, charming user interfaces, adding small but useful tips etc. The iOS team made a good job. However, I still have a question: where is Steve.

Of course, the interface of iOS7 is simple enough as you see and I’m not saying the software architecture seems complex. A question is perhaps what “simple” means. To see an animation when you go back to the home from an application for example, the visual effect looks slightly busy compare to the traditional context of Apple way. Icons is also simple but vivid.

When you see a pictures you took, you might find an unexpected object in it. One of the reason is, when you see something, you see only what you want to see. While you look at something charming through a finder, it is natural to escape the attention of trash bin at the bottom right of view. Such a additional information may make it busy.

Apple would have found a good word to explain the new interface. The word “flat” sounds well. A skeuomorphic designing method may not give a simple impression today. I suppose Apple needed to move toward the future. It would be just on way to the next.

It seems to be a time to go back to the question. It is said that Steve Jobs knew Zen culture which affected his idea. But I don’t believe it. Probably he had his own criteria as everyone does. At least, his strong leadership would be an Apples criteria. When he said yes, it was simple.

いつものようにiPhoneのiOSをアップデートして、素晴らしいような、でも少し変な感覚でこの一週間が過ぎた。いつものApple。様々な機能追加に魅力的なインターフェース。iOSチームはいい仕事をしたということだろう。だが、どこか疑問が残ったのである。ジョブスはどこに行ったのかと。

確かに相変わらずシンプルなインターフェースであるし、ソフトウェア構造がどうのこうのという話ではない。ひょっとするとシンプルとはどういう意味かという話なのかもしれない。ホームボタンでアプリから戻る時のアニメーションがどこかうるさかったり、シンプルなアイコンが派手過ぎたり感じるのだ。

撮った写真に予想していなかったものが写りこんでいることがある。理由のひとつは、人間が見たいと思っているものだけを見ようとすることだ。素敵な何かをファインダー越しに見ている時に、隅にあるゴミ箱には気が付かないものだ。

Appleは新しいUIにフラットという良い単語を見つけた。現実のメタファーは、現代では必ずしもシンプルな印象を与えない。恐らくは、Appleは次世代に向けて動き始める必要があったのだろう。

最初の疑問に戻ってよいころだ。ジョブスは禅をよく知っておりそれが彼の考え方に影響を与えているとも言われている。個人的にはそうは思わないが、おそらくは、彼は彼自身の基準を持っていて、彼の強いリーダーシップがAppleの基準になってはいただろう。彼がイエスと肯いた時、それはシンプルだったのだ。

Books

A Book: The Zen of Steve Jobs

boks-steveApple IIeは憧れで終わり、Macintosh plusが最初だった。SEを歴てMac IIfxあたりまでは、運が良かったのか、スポーツカーでも操っているかのようなプロの道具を使う満足感を味わうことがかなったが、Powerbookは再び憧れとなった。久しぶりに手にしたiMacからは、iPodやiPhoneとコンシューマ向けの製品を再び使い続けている。
そうやって、ひとつの会社の歴史を個人が語れる時、なにかしらその文化のいうなものがあるのだろうと考える。

先日、机の中を整理していたら、知人からもらった NeXT のロゴの入ったカードが出てきた。そんな具合だから、もともとスティーブ・ジョブスの生み出す製品が好きなのだろうと言われれば、その通りなのかも知れない。一方で、その文化のようなものに親近感を感じるからこそ、たまたまMacを使ってきたのであって、ジョブスとは直接関係しないのかも知れないとも思う。

ジョブスが亡くなって、多数の本が出版されたり再び話題になったりしたが、本当のところ、その理由はよく分からない。iPhoneは今も販売数トップの座にあるだろうが、Macとなると、シェアは大きいとは言えない。Appleの製品ラインナップは、一般的な世界企業と比較すれば多くはないし、それでも世界最高レベルの価値を持つ企業の経営方針を知りたい人が多いとも思えない。恐らくは、そんな会社を作り、成長させ、壊し、追われ、再び戻り、世界一にしたその人自身に魅力があるのだろう。

一般の人がジョブスのスピーチを愉しみにしていたとも思えないが、そのシンプルでどこかにストーリーがありそうなプレゼンに惹かれるというのもあるかも知れない。もちろん、バラク・オバマもそうであるように、ジョブスのプレゼンにはシナリオライターがいたことは、Appleに詳しい人であれば、衆知である。だが、ジョブスが描かれたシナリオをそのまま受け入れたなどとは想像できないし、そのような部分があったとしても、少なくとも、それを自分で納得しなければ使わなかっただろう。そうでなければ、あれほどまでにシンプルには語れなかったに違いない。
要は、生前から伝説であるかのように言われた人物に、人それぞれの興味があって、その人の背景となるもの、根底を流れるものを覗き込んで見たいということなのだろう。

ジョブスと禅との関わりがどれほど重要なのかは知らないが、禅が根底に流れる考え方のひとつではあっただろう。本書を覆う静かなトーンも、そのエピソードを思索の中に溶け込ませる役割を果たす。そのうち、円環をめぐるいくつかのストーリーも座禅を組む姿も、それが事実であるかどうかは重要ではなくなる。事実は彼方に追いやられ、そのトーンだけが通奏低音のように重みを増す。

結局、ジョブスに関しては、事実がどうであったかなど、取るに足らないことなのかも知れない。それが、文化であるならば、そこまで大袈裟な言葉を使いたくなければ、あるいはライフスタイルであるならば、事実を並べ分析した本は、まだ先でいい。

コミック嫌いがあっという間に読み終えたのには、何かわけがある。
和訳も出版されている。オリジナルがよければ英語も平易である。

最近読んだ本

The Zen of Steve Jobs
Caleb Melby, Forbes LLC, JESS3 著

予告された殺人の記録 (新潮文庫)
G.ガルシア=マルケス(Gabriel Garc’ia M’arquez) 著, 野谷 文昭 訳

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