動物学者のデヴィッド・アッテンボロー(David Attenborough)と映画監督のリチャード・アッテンボローが実の兄弟だと知って驚いているところなのだが、Wikipediaによれば二人の間にいるもうひとりはアルファロメオの幹部だそうで、ずいぶんと「濃い」兄弟らしい。動物学者のアッテンボローと言えば、未開の地を訪れ、あるいは山奥でゴリラと戯れ、時に自然破壊を警告しつつも地球の豊かな自然への讃歌を美しい映像で示すレポーターとしての顔が思い浮かぶのだが、さすがにもう高齢で新しいドキュメンタリーはできないだろうと思ったら、2021年に新作を出していた。当時94歳だそうである。85歳の時に北極でシロクマを撫でたくらいだから、本人に言わせたら94歳だろうがなんでもないことだと言うのかもしれないが、驚かざるをえない。
動物や自然への愛あふれるアッテンボローのメッセージは素敵だが、ここ最近は、動物に接するのに少しだけ躊躇するちょっとした価値観のシフトが起きている。多くの国で犬や猫をペットショップで売る事を禁止しているし、多くの動物園が、展示される動物のプライバシーに配慮して、動物の住環境に似せて森を再現したり隠れる場所を作っている。だから、もうフランスではペットショップに展示された子犬は見かけないし、日本でも動物園に行っても動物に会えない事もある。いっそのこと、動物園そのものを廃止すべきだという論調さえある。動物園に行くより、アッテンボローあたりの美しい映像を見た方が学びになるというのである。動物園は虐待に過ぎないと。そのような動物園廃止論についてここで議論する気はないが、かのアッテンボローはこの議論に対して「動物の本質を正しく理解するには、実物を見てみるしかありません」と言っているそうだ(BBC)。その点については個人的に完全に同意する。動物園には種の保護などを含む様々な機能があるが、学習という機能に関して言えば、少なくとも子供達や関心をもつ大人が世界の生物を短期間で理解するにはこれほど優れた仕組みはない。
もちろん野生の生物を観察するに優るかと言えば、必ずしもそうではないだろう。野生でなければならない要素もたくさんあるはずだ。それでも野生で全てを俯瞰することは不可能であるし、たとえあなたが動物学者であってもいつも現実的という訳ではない事は容易に想像できる。だから動物園を廃止せよという論調には少し懐疑的になってしまう。
最近はよほど十分に吟味した文章でないと誤解されて叱られたりもするので再度書かせていただくが、ここで書いている内容は、動物園の機能に関する本当に小さないち側面に僅かばかり触れたに過ぎず、動物園の是非を書いているつもりはまったくない。あえて言うなら、動物園の是非はともかく、久しぶりに何度か動物園訪れてみてアッテンボローの美しい映像を思い出し、動き回る動物達に少し興奮したと伝えたいのである。インドライオンの低く唸るしゃがれた声は胃の奥まで響いて来たし、尻尾しか見えなくてもオオアリクイのふさふさとしてモップのような尾は寒い夜に体を覆う様子を想像するに十分だった。
あぁ、野生で見てみたいななどと思ってもさすがに簡単には見に行けないが、1,000円もしない2時間ほどの世界一周ツアーもなかなかである。それを伝えるスタッフの苦労も相当なものだろうと想像するが、本当に1,000円以下でいいのだろうか。
