Bonne journée

時空間の縮退または膨張

太古
その昔、ひととひとはその場所とその時間のみを共有していた。
*1

4000年前
言葉を記録することにより、ひととひとは共有する場所を拡大した。すなわち、それが重い石板に書かれていようと、手紙と馬や船での移動により、その時間の範囲において空間を拡大した。
その後の時代は、空間を広げることに注力し、船を高速化し、車を手に入れ、飛行機を発明した。
*2

100年前
電話により、ひととひとは、共有する場所の拡大を完了した。すなわち、移動の時間に囚われることなく原理的に無限の空間を手に入れた。
しかし、すべての場所の共有が終わったわけではなかった。電話により共有された場所は、目的を持って人がいる場所であって、人そのものではなかった。電話がつなぐ場所は、電話がおかれている場所であって、そこにいつも人がいるわけではなかった。

10年前
携帯電話により、ひととひとは、共有する時間を拡大した。電話の移動は空間の移動となり、点を線として、ひととひとが好きな時間につながることを可能とした。

5年前
Webにより、ひととひとは、共有する時間の幅を拡大し、空間領域の幅を拡大した。すなわち、ひとはひとと、過去に遡って自由な時間を共有することを可能とした。

現在
ソーシャルメディアによって、ひとは、ひとりの個人から社会での時間と空間の共有に移行した。すなわち、人がいるその場所と時間は、物理的な場所と時間から離脱した。これにより、不均一な知の個人の集合によってなる叡智が、個人の知の集合と体系化と並列化し、時空間の密度を高めた。
*3

今後
ひとは、無意識の自己と、場所と時間を共有しようとしている。すなわち、意識を持ってコミュニケーションする状況から、意識することなくコミュニケーションする状況を探そうとしている。
ひとつの不完全ではあるが可能性を持つ手法はLife logである。Life logが共有するものは生活の記録であり、ログである。しかし、本当に共有するものがログであるかどうかは疑わしい。このような仕組みが共有するものは、記録と共にリアルタイムの無意識であり、意識しない知の時空間的な共有なのではないか。意識的に目的を持って作られた知から、無意識に作られた集合知への拡大なのではないか。

*1
社会内のつながりに加えて社会間のつながりが出来て、初めて距離の問題が出てくる。その成立は、想像以上に古いと思われる。

*2
古代ローマでは、最も近いアフリカから情報が伝達されるのに、最短数日であったと考えられている。現実的には、中東からエーゲ海やアドリア海を渡ってイタリアに至る物流は、数週間から数ヶ月というところである。冬の間は自然休戦となった時代では、あまり問題にならなかったのだろう。徐々に技術は進歩したものの、ベネチア黄金期になっても時間がかかった事は間違いない。

*3
「集合知」”Wisdom of the crowd” というものに科学的根拠があるのかどうかは分からない。ただ、多くの個人の知見を集めると、知識として正しいことが多いことが知られている。ただし、集合知は、誘導されやすい。