
若い頃、それこそプロの仕事がどんなものかも分からず、ともかく言われたことをどれだけスマートに期待通りに仕上げるかくらいしか基準が思いつかなかった頃、アメリカからインターン生が来た。わざわざ日本を選んだのか?と思うのは最近の若い人だけで、50代以降の年寄りはなるほどと思うかもしれない。バブルが弾けたなんて言い方をするが、技術力も生産力も世界トップクラスだった日本は、魅力的なインターン先だったのだ。ただ、英語が話せないなどと言って尻込みをする管理職も多かったから、なかなか見つからないインターン先でもあった。案外日本は魅力的な仕事先だったのだ。
実は、数年前にフランス人の学生から日本でのインターン先を探していると相談されたことがある。フランスで仕事をしている日本人は少なくないが、少々アカデミックな仕事に関わっていたので、相談しやすかったのだろう。だが、探すのは容易ではなかった。今時英語を尻込みしたわけでも、フランス語を恐れたわけでもない。当の本人は日本語を一所懸命勉強しようとしていたし、会話は英語で問題なかった。
難しかった理由はコストだ。英語で尻込みしていた日本企業は、今ではコストで尻込みしている。人件費はとてつもなく大きなコストだ。会社を運営していれば、建物や光熱費などの費用もあれば、仕入れのための費用だったりも考えなければならない。でも、確実にかかる費用でかつ大きな金額となるのが人件費だ。インターン生に給与を払わないなんてことをやっているのは超短期の場合くらいで、研修だからタダってことはない。
そんなわけで、最近ではコストが問題だから受け入れなくなってきた海外インターンだが、そのアメリカから来たインターン生は大変に良く仕事をする人で、あっという間に正社員と同じレベルで仕事をするようになった。社員の親睦会で日本のテレビの真似をして、周囲を楽しませることまでした。アメリカ人ってすごいなと感心させられたのだった。そのアメリカ人は日本人の仕事ぶりを見ていて、よく真面目に働くなと思っていたらしい。
インターンの期間(確か半年だったと記憶している)も半ばを過ぎた頃、ちょっとした事件がおこった。インターン生の働いていた部門の隣の開発部門がやっていたプロジェクトが、中止となったのだ。インターン生の仕事の一部は、その開発部門の作っていた英語のマニュアルをネイティブチェックして校正することだったのだが、当然その仕事も無くなった。それどころか、そのプロジェクトが中止となった開発部門はしばらくの間仕事が無くなったのだった。管理職は浮いたリソースを別なプロジェクトに回すとか、次の仕事を探してくるとか、それなりに忙しかったのだが、若い人たちは特段することもなかった。だから出社してはくるものの、残務整理を多少する程度であとはおしゃべりをして過ごしていた。
インターン生から見れば何事かと訝しむところだ。日本語で色々話をしていても、誰もインターン生には詳しく説明しなかったから、数日して異変に気づいたインターン生が質問をしてきた。「何で仕事をしないの?」という至極真っ当な疑問である。真面目だと思っていた日本人が遊んでいるのだ。そうだった、彼は日本語が分からないじゃないかとプロジェクトの中止を伝える。すると、インターン生の反応は意外なものだった。
「ああ、そういうことね。よくあるよね。契約解除になるのかな。次の仕事がすぐ見つかるといいね。」
ここはアメリカじゃない。終身雇用だから次の仕事待ちだ。そんな説明はややこしくてうまくできなかった。そもそもインターン生だって仕事が危ういだろうに、当たり前すぎて気にしていないのだった。
人件費はコストだ。だから仕事がなくなれば解雇する。そのくらいの発想で動いているのがアメリカ社会でもある。逆にいえば、そのコストである人件費を効率よく運営して価値を生み出すのが経営だ。
ここまでは理解しやすい。不思議なのは、コストのかかる人を効率よく運営するためには、マイクロマネージメントも必要だと考える日本人が少なからずいることだ。「お前には金がかかっているんだ。その金に見合った仕事をしろ。俺のいう通りにやれ。」である。まあ、分からないでもないが、たいてい言われた側の感想は、「やれやれ老害だ。」である。
人件費はコストだと書いた。コストとは使い捨ての償却される費用である。だが、欧州では、これを文字通りコストだと思って経営してはいない。多くの国が日本のような終身雇用で、解雇すれば多額の費用がかかるが、育ってくれれば金を生み出す投資先だと思っている。
つまり、人件費は投資。コストがかかるから自由に発想させて、良い部分を最大限掬いとるのが経営なのだ。もちろん投資だから、マイクロマネジメントは厳禁である。日本の常識で働いていると、何か事件が起きた時に、少々面食らうことになる。