
時々どうして文章を書いているのかわからなくなることがあって、この原稿を書いている今がそのふんわりした不明な瞬間である。役所に出す書類のような物は、そもそも文章を書いているのではなく、役所に出すべき情報を記載しているのであって、ここでの「文章を書く」ということではない。そうした意味で、物を書くのに最初から理由などないのだ。多分。
そもそも理由のない物書きなどないという見方もある。例えば年貢の量を決めるために記録した文書にも、エンタメなどとも呼ばれる小説の類にも、夏休みの宿題にすらも、なんらかの理由がある。長年積み重ねられてきた歴史の中にも、今日書いたばかりの買い物メモにも、同じように目的がある。小説なんて人を楽しませるためであって、そこに目的などないでしょと言われるかも知れないが、書く側にとってみれば、それによって収入を得るという目的があるはずなのだ。そうやって考えると、理由のない物書きなどないのかも知れない。
それでも時々考える。この文章は、何故書いているのだろうと。そんな、理由のわからない作品(ネコトコトリ)へのリンクをここに置いておく。
声に出して(ぼそぼそと)読みました♪
4つの中で「つきとうみ」がすごく好きです。
なぜ書いているのだろうと、思うことはあります。tanuさんの文章(詩や散文、ショートストーリー)からは浮かぶ情景があります。感情だけでなく、とてもはっきりと浮かぶ景色や空気の質感や匂いなども。書くことで描かれていて、書かないと見ることができない情景を描かれているのかな、と思いました。
ありがとうございます。
時々Willa CatherのO Pioneers!の一節を引用させてもらっています。
“There are only two or three human stories and they go on repeating themselves as fiercely as if they had never happened before.”
毎日いつも違った景色があります。でもストーリーはいつも同じ。だから景色を書いています。
きっと、書く理由なんてなくて、景色を共有しようとしてるんですね。