Bonne journée

習作 (study)


 夏風の青く輝く葉と葉の隙間から黄金色の陽光が漏れ出すコンペイトウのような夏至の日も、ねっとりとしたエメラルド色の空気が首筋に汗の跡を赤く残す甘酸っぱい梅雨も、やがてやってくる明日の楽しみと、やがてやってくる昨日の痛みと、通り過ぎて行ったばかりの今日の疲労とが、説明のできない明日への不安のように曖昧に混じり合っていた。
 何かが違っているのに、それが何か分からないもどかしさ。そして静寂。背負ったナイロンのバックパックのポケットを開き、人差し指と中指を差し入れて、パスポートがそこにあることを確かめた。

 時々、いつも不平ばかりを言っているような気がして、なんだか嫌な気分になることがある。それは、一時的なもので、本当に不平ばかりを言っているわけでもない。あの街の夏風は気持ちが良かったのに、ここはいつもジメジメしてばかりいるなんて言ってみたり、あの街の冬は長くて辛かったから、ここの夏が暑く感じられるんだなんて言ってみたり、八つ当たりもほどほどにしなければならない。
 そんな身勝手で曖昧な感覚を文字に起こしてみたらと思って書いてみた習作である。表現って難しいなとつくづく思う。この感覚を共有しようと思ったら、同じ追体験をしてもらわなければならない。それがこの文字だけでできるわけでもない。実感として、感じてもらうだけの文章力がなければならない。その点、自由度がある映像はいいななんて思うこともある。でも、映像表現をする側から言えば、表現したものしか伝わらないから、映像を見た人が同じ感覚になるとは限らないとか。やっぱり難しい。
 やれやれ、これも身勝手な八つ当たりか?