Bonne journée

会話のないレストラン


 バーガーキングもマクドナルドも、ある意味昔ながらの食券販売となった。あのプラスチックでできたみたいな、いかにも安いですよと言わんばかりの入口を入った瞬間から、期待するのは安価に手っ取り早い食事を手にすることであって、それ以上のものはおまけでしかない。

 勘違いしないでいただきたい。マクドナルドのハンバーガーが不味いと言っているわけではない。正直、値段なりの部分はあるにせよ、他より安い値段でそれなりのハンバーガーを食べることができる。言いたいのは、美味しいハンバーガーを食べられそうとか、きっと落ち着いてゆっくりと楽しい食事が出来そうとか、そんな期待をして店舗に入るのではなく、「安くて手っ取り早い食事」を期待するのだ。

 その昔、学生街や港湾などには、食券販売形式の「食堂」があった。過去形で書いてはいるが、決してなくなったわけではなく、徐々にタッチパネルの注文やトレーの検知による自動精算に切り替わってきただけだ。利用者は、まず、入り口に置いてある食券販売機で食べたいものを選ぶ。大抵は定食Aか定食B、ラーメン、カレーなどと言った類である。選んでお金を入れると下にある小さな小窓から厚紙に印刷された食券が出てきて、それを持って窓口に行くと食券と引き換えに食事を受け取れる。時間がかからないものばかりだから、食券を出した場所で少し待つだけで良い。人件費をカットしているから安いし、待つ時間も極めて短い。食券はそうしたメリットを実現するための仕組みの一部というわけだ。

 マクドナルドのタッチパネルでハンバーガーを注文し、カウンターでそれを受け取る仕組みは、そうした食券システムとさして違わない。処理は事務的になり、目を見て会話する理由はほとんどない。コミュニケーションが苦手な人には良い仕組みだろうし、コストも安いだろうが、もはやレストランではないと感じる人も少なからずいるだろう。「おはようございます。今日は暑いですね。」なんて会話はもうない。それが例え社交辞令であったとしてもである。

 先日、仕事の合間にセルフオーダー・レストランのタッチパネルの反応が鈍いという話題になった。年寄りには優しくないという。その話を切り出したのは定年をとっくに迎えた人だったから、てっきり操作が難しいという愚痴かと思ったら、指先の湿り具合によるのだと言う。そんな筈はないだろうと思いつつ、議論に加わった。いや、そもそもタッチパネルのセルフオーダー店には行かないと。サービスのないレストランならコンビニと同じではないか。そう言った瞬間に会話は唐突に終わったのだった。

 ずいぶん昔のことだが、夜中に急に小腹がすいて、旅先のホテル近くの洒落たマクドナルドに行ったことがある。レストランに行くには遅い時間だったし、深夜営業のスーパーも近くにはなかったから、マクドナルドは良いアイデアだと思ったのだ。案の定、夜中にマクドナルドで食事をしたい輩がさほど多いわけもなく、数組がコーラを飲みながら駄話をしているだけだった。「こんばんは」とぶっきらぼうな挨拶をして、ビッグマックだったかとコーラを注文する。店員も面倒だろうと思ったが、まぁ、仕事である。
「ビッグマックとコーラね。ちょっと、待てる?」
思いがけない笑顔で店員はこう続けた。
「お客もいないから、これから作るんだけど、ちょっとだけ時間かかると思う。」
なるほど、そりゃそうだ。客もいないし、注文カウンターもひとつだけだ。ハンバーガーなんて簡単そうだが、段取りもあるだろう。
「こんな時間だから急いじゃいないよ。ここで待つよ。」
「OK、ありがとう。朝までは待たせないから。」
そう言って、奥からコーラを入れたカップを持ってきた店員はこう続けた。
「どっから来たの?旅行?コーラは私の奢り。これ飲んで待ってて。」
南ドイツの事である。その後、他に誰も客が来ない事もあって、しばらく日本の話をして過ごしたのだった。

 食券販売形式だって会話がないわけじゃない。学生食堂で定食を受取りながら、ひとことふたことの会話だってある。でも、タッチパネルのセルフオーダーの寿司屋さんなんて、会計の事務処理以外に会話する機会もない。だから、セルフオーダー店には好んで行かないのだ。

 ただ、職場での話題に話を戻せば、そんな自分事は話題にすべきではない。そう後で思い当たった。自分はこう思う、自分はこうしたい、といった自己主張を嫌う文化をすっかり忘れていたのだった。タッチパネルオーダーのレストランの操作が難しいよねという話題には、そんなレストランに行くのが当たり前という前提があって、その操作の話をしているのであって、セルフオーダーの良し悪しではない。単に操作が難しいよねと同意を求められたのだ。そもそもレストランで店員さんや料理人さんなどと話をすることは、日本ではあまりないではないか。そうした文化なのだ。会話のないレストランの会話はなかなか難しいものだった。