強い日差しに瞬くように輝く海の深み、雨上がりに落ち着きを取り戻した茶色の大地、空気を満たす熱狂する人々の声、アスファルトに反射するむき出しのエンジン音、食事の匂い、エネルギーに溢れた街と静寂の夜。ありふれた風景が言葉の断片に切り取られ、記憶の風景と重ねあわせられる時、その風景を美しくすることのひとつは、その味が苦くとも切なさである。
「明日はあるのかな。」 「そりゃ、あるだろう。今日も終わらなかったのだから。」
むろん、明日はある。明日は必ずやってくる。いつものように、いつもの楽しさと切なさと情熱と諦めの間に明日はある。どんな明日であれ、それは容赦なくやってくる。眠りについても今日が終わりそうにない時でも、変わることなく、まるで気づかれないようにそっと歩いてくるかのようにやって来る。目覚まし時計の音に慌てる朝、急に冷たくなった晩秋の空気に重い体を引き摺り出す朝、纏わりつく夏の湿気が思い出せなくなった朝、そんな朝もあれば、軽やかな日差しに目覚める朝もある。だが、もう明日になろうというのに、遠くサイレンが聞こえ続ける終わらい夜もある。
「いつまで続けるというのか。もう止めたら?自分のために。」
そう思いながら止めることが出来ない一日。止めてしまったら何もかもが終わってしまいそうな一日が始まり、自分ではどうしようもなく動き出したその日が過ぎて行く。強烈な日差しに目を細め、見えなくなる今日を感じる一日があり、日差しを避けて隠れるように過ごした一日がある。
この作品は間違いなく美しい。程よい長さの短篇が7つ。強い想いと儚い願いが交錯しながら、日常の時にいかがわしく時に空虚な光景が光を放ち、読み進めることのどこかに負担のようなものを感じ始める頃に作家が手を差し伸べてくれるような、そんな長さの短篇集となっている。作家の記憶の一部であるか想像なのか分からないが、タイの普通の風景も美しい。タイ系アメリカ人作家というから、少なくともなんらかの想いはあるだろう。ただ、緻密な風景描写があるわけでもない。おそらくは、全篇を覆う切なさがその美しさを生み出しているひとつの理由となっているに違いない。だとすれば、なんと悲しいひとの営みか。とはいえ、読むに心配する必要はない。作家の眼は、いつもどこか優しく温かい。
最近読んだ本
観光 (ハヤカワepi文庫)
ラッタウット ラープチャルーンサップ 著、古屋 美登里 訳
