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A Book: 生き残った帝国ビザンティン

20131221-001This article was written only in Japanese.

日本からヨーロッパは遠い。飛行機で10時間以上も薄っぺらな椅子に縛り付けられ、あちこちに体をくねらせて少しでも楽な姿勢を探しながら、やっとの思いでたどり着く。身体中に鈍い痛みのようなものを感じながら降り立った空港のその風景は、時に、それが関東平野にあって広々とした平面に引っ掻き傷のようにあったはずの成田空港と比べるまでもなく、終わりがあるとも思えない広がりを表す。そうして長旅の後には多くの言語が溢れ、あたりまえのように染み込んでいく。

これがアジアとなると、幾分かその様相は異なっている。地理的に近いということもあるだろう。見慣れたとまで言えなくとも、何処と無く日本で身近に見る目が、そこでこちらを見ていたりもする。実際に物理的に近いかどうかといった事だけではなく、文化的な背景に近い部分も含めた近さのようなものを感じることもあるだろう。風景の中に似た植生を見つけるといった環境面も無視できない。

では、トルコはどうか。ボスポラス海峡に分かたれたその国は、近いのか、遠いのか。

青く澄んでその深みを知るも難い輝く空を背景とし、さながら大河のように白波をたてて流れる海を前景として、重厚な中にも華やかさをもって佇むモスク。荒涼とした大地に2000年の時を経てなお賑わいを感じるローマの街並み。果たして地球上の風景かと目を疑う地上から突き出す大地。写真で見るトルコは、アジアの東の果てからは、はるかに遠いエキゾチックな風景を織りなす。だが、それでもなお、トルコは地理的にも文化的にもヨーロッパとアジアの両方に位置している。それは、かつて、東西には香辛料や絹を運び、南北には宗教をも運んだ場所であり、今、ボスポラス海峡にかかる橋は、同時にヨーロッパとアジアに架かる橋でさえある。

かつてコンスタンティノープルと呼ばれたその要の街は、今はイスタンブールとして世界からバカンスのデスティネーションとなっている。コンスタンティノープルは、コンスタンティヌスの街という意味であり、紀元330年のローマ時代にローマ皇帝コンスタンティヌス1世が、旧い街を元に壮麗で強固な街として造りあげたと歴史の授業で学ぶ。やがて、ローマ帝国は東ローマとなり(後世の便宜上の名前ではあるが、西ローマ滅亡後を区別する名としての)ビザンティン帝国となって、ついにはオスマントルコに敗れると。

アジアでもあるイスタンブールが日本から遠く感じるのは、物理的な距離もさることながら、それ以上に、このような歴史観が背景にあるような気がしてならない。確かに高校の授業では、欠かすことの出来ない歴史の一部としてビザンティン帝国を教えている。だが、その量は決して多くはない。輝かしいローマ史が下降線を描く中で、キリスト教を国教として国の維持をはかったコンスタンティヌスまでは、地中海世界の勢力図の変遷として、あるいは多神教からキリスト教への変遷として、あるいは寡頭制といった政治制度として、様々な視点から手厚く学ぶ。その後は、ローマの滅亡とその後を引き継ぐビザンティン帝国、十字軍、そしてオスマントルコである。ゲルマン民族の移動は多くの人が記憶するが、ベネチア共和国を軸とした交易の歴史には多くの時間を割くことはない。ベネチアに触れるなら、寧ろ、十字軍よる占領とスペインとの交易覇権の争いにおいてである。ビザンティン帝国は、多くの人にとって、ヨーロッパ史の記憶の隅に僅かに残る程度でしかない。だが、ビザンティン帝国は千年にもわたって続いたのである。

なぜこうも歴史ある帝国が名前程度しか記憶されないのか。その答えは、「生き残った帝国ビザンティン」に書かれている。正確に言えば、もちろん、答えなど書かれているわけはない。少しでも興味があって、名前以上の知識があれば、高校の教科書程度の背景が理解さえできれば、ひょっとすると同じ感想を持つ人もいるのではないか。そう思うのである。ビザンティン帝国は紛れもなくローマ帝国の末裔であり、同時にアジアでもある。この、アジアである事の背景だけでもビザンティン帝国の意味合いは違ってくる。教科書で学んだビザンティン帝国は、ヨーロッパ史としてのビザンティン帝国であって、もちろんアジア史の一部ではない。その見方は果たして真実を伝えきっているのか。ひょっとすると、ビザンティン帝国の中、あるいはアジア側から見たビザンティン帝国は、高校で学ぶギリシャ色の濃いローマの末裔やアジアからの防波堤としてのキリスト教国とは異なっているのではないか。そうした疑問を覚えながらイメージが変わっていく。高校で学ぶあまりに薄っぺらなビザンティンは、恐らくは、西ヨーロッパのフィルタを介して見る主旋律の装飾に過ぎないのだ。もちろん、このような見方は、著者の意図とは違うだろうし、そもそも意味を誤解しているかもしれない。此処に書いた個人的な感想が怪しい駄噺でしかない事は、正直に記しておく。

ある意味、学術書なのだろうが、ドキュメンタリー小説のように読むことが出来る。裏返せば、どこからがフィクションか分からなくなりかねないが、そうなったらビザンティンに入り込んだという事。それはそれで良い。ならば、日本からヨーロッパへの飛行機で読むのも良いだろう。ましてイスタンブール行きならイメージも膨らむというもの。とは言え、ビジネスクラスでの移動ならという条件付きではある。身体をくねらせながらの苦行の最中に読むには、少々中身が濃すぎるからだ。できれば、ヴェネツィア発イスタンブール行きの船上で、パラソルの下、風に吹かれながら読みたいものである。

最近読んだ本

生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫)
井上 浩一 著

妻を帽子と間違えた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
オリヴァー サックス 著、 高見 幸郎、 金沢 泰子 訳

アラブがみた十字軍 (ちくま学芸文庫)
アミン マアルーフ 著、牟田口 義郎、 新川 雅子 訳