ブルターニュ(Bretagne)

「パリはフランスとは違う。だから、マスクもしないたくさんの若者がセーヌ川のほとりでビールを楽しんでいるなどと、パリの事をフランスの事のように話さないでほしい。」
「ロンドンはEUではない。だから、パブでビールを飲むならマスクは要らないなどと、ロンドンの事をEUの事のように話さないでほしい。」
 正直に言えば、そこまで直接的な言い方ではないかもしれないが、それでもこの2年ほどで何度か聞かされた話の一部ではある。パリに用事があってTGVの予約をすれば駅からはスリだらけのバスに乗るなと言い、EUのCOVID-19感染状況マップ上を見れば英国とスイスは真っ白のままでであれはEUじゃないからねと言う。

 パリが安全ではないと言うのは、ある意味本当のことであって、仕方ない反応ではある。地方の道を歩いていて財布をすられることなど滅多にないが、その地方からパリに出かけた人の何人かは何かを経験している。白昼堂々身包み剥がされそうになったとか、携帯を奪われたとか、そんな類いである。日本人を含む外国人の話ではない。地方生まれ地方育ちの生粋のフランス人の話である。だから、フランスにはパリとフランスがあるなどと言いたくなるわけである。いや、単に田舎者と言うだけじゃないのかとは思わないわけでもないが、そこはそれ、礼儀というものもある。
 だから地方の人がパリが嫌いかと言われれば、そんな事もない。確かに特段の用事もないのにわざわざ行くような場所ではないだろうが、むしろフランスの中でもパリは別物と思っているだけなのである。多少の偏見もあるだろうが、一人ではなく複数の知人が言うのだから特殊な話などではないはずである。あんな狭い家には住みたくないだとか、1時間も通勤電車に揺られるなんてごめんだとか、そんな感覚がおそらくパリに距離感を感じる理由なのだろう。

 ただ、ブルターニュについて言えば、多少違った要素もあるにはある。ここで言うブルターニュとは、フランス北西端の行政単位としてのブルターニュ地域圏と言うよりブルターニュとペイ・ド・ラ・ロワールを含む歴史的ブルターニュと呼ばれる地域である。
 そもそもこの土地はゴンドワナ大陸の北部にあたるアルモニカ山塊の上にあって、フランスの他の地域とは土地の成り立ちが違う、と言う説明は流石に余計だろうが、そんな事まで言いたくなるほどに他とは少し違った歴史・文化を持つ。それは村の教会ひとつ見ても分かるし、ブルトン語の標識などで否応なく生活に入り込んでくる話でもある。地元の人々はブルターニュであることを誇り、ガレットのかまどの話を好んでしたりもする。誇り高きブルターニュは、ブルターニュ公国としてつい最近までフランスですらなかったのである。
 ブルターニュ公国がフランス完全に併合されるのは、1532年、ルネッサンスが花咲いた時代である。フランスでは宗教戦争が起き、隣国スペインは「太陽が沈まない帝国」と呼ばれるほどの栄華を誇っていて、そして日本は戦国時代の只中にあった。織田信長はまだ生まれていない。9世紀の半ばから700年以上も続いたブルターニュの統一国家は、それがたとえ安定しない国家であったとしても、おそらくは多くの独特の文化を生んだはずである。ただ、ブルターニュをそうしたフランスとの関係で考えようとすると見誤る。スペインとイギリスの間に位置するブルターニュは、その後もフランスにとっての要衝の地でもあり続け、時にフランスと対立してきたことは確かだが、一方でその地理的な側面から、イギリスとも多くの関係があった。そもそもブルターニュ(ブリタニー)とは小ブリテンの意味である。
 歴史的には、紀元前50年頃のローマ支配の後に、ブリテン島からブリトン人が移り住み、やがて建国の父ノミノエが統一したとされるそうだが、もともと有史以前の巨石文明時代はよく分かっていないし、その後の民族がケルト系であったことから、紀元前からのケルト文化圏なのかもしれない。巨石文明は世界中にあるが、ヨーロッパの巨石群の分布とケルト民族分布はある程度一致するそうである。面白いことに、どのケルト部族が2000年前のブルターニュにいたのかは、ある程度詳細に分かっている。ユリウス・カエサルの「ガリア戦記」にすら記載がある。

 歴史ばかり長々と書いても退屈だろうが、そんなことが冒頭のイギリスはEUではないと微妙に関連しているらしい。Brexitの原点はEUとの漁業協定のもつれと言われているが、もともとイギリスはユーロも使わず、同じEU内でありながら入国にパスポートの提示が必要な国であった。フランスやドイツからするととても近しい同胞でありながら、どこかよそよそしいところがあったわけである。
 かのブルターニュと言えば、イギリスとの間に定期フェリーが運行され、イベントがあればバグパイプが登場するほど文化が似ているところがあるから、案外イギリスには愛着を感じている人も多かったように感じられる。2019年の女子ワールドカップ、日本対スコットランド戦では、わざわざ「すまないがスコットランドを応援する」とまで言ってきた知人もいる。それにもかかわらずBrexitである。「あいつらはもう知らん。」と妙な反応を示す輩も少なからずいたわけである。

 大陸の人間がイギリスを最果ての地のように言うのは今に始まった事ではない。2千年前のローマ帝国の時代から、国家防衛の防人達は、遠く離れたブリテンで戦っていたはずである。そしてブルターニュも同様にどこか遠い果ての地のようなところがあるのである。TGVに乗ればモンパルナスからたった2時間でブルターニュの玄関口に着くと言うのに、独特の文化と恐ろしく美しい海に不思議とエキゾチックな感情のようなものを感じるのだろう。
 そもそも、ブルターニュには妖精が住んでいると言う話もある。先に書いたようにローマ後に移り住んだのはブリトン人だが、そのブリトン人の中で最も知られた人物と言えば、アーサー王である。もっともアーサー王が実在したかどうかは未だに論争があるくらいだから、ブリトン人なのかどうかはよく分からない。ただ、円卓の騎士とともに良く知られた王である。その剣を引き抜いた勇者は王となると言われたエクスカリバーを硬い岩よりひき抜き、魔法使いであるマーリンと共に冒険した舞台のひとつはブルターニュなのである。だから今でも森の奥にマーリンの影は見え隠れする。マーリンを幽閉した湖の貴婦人と呼ばれる妖精ヴィヴィアンは、ブルターニュの湖で生まれたとされている。

 今でも2頭の牛に引かれたアンクーがギシギシと音を立てたら注意したほうが良いなどと恐ろしい事も言うが、一方でブルターニュはそんな古臭い昔話だけでなく、世界大戦の戦禍の顔もある。大西洋とイギリス海峡(最狭部をドーバー海峡という)を見据えた地の利は、軍港としての価値を生んだからかもしれない。ロワール川河口のサンナゼールは大型船を製造するに適した港町であったことからナチスドイツ占領下での激しい戦いに巻き込まれたし、ブレストやサンマロは爆撃により跡形もなく破壊されたのだった。戦後、ブレストの人々は近代的な街を作り直そうとし、サンマロの人々は、瓦礫をひとつひとつ積み直して元の街に戻したのだった。サンマロの街の華やかなクレープ屋さんでガレットを食べながら遠く教会の鐘の音を聞いていると、旧市街の城壁が一度は破壊されたのだとは俄には信じ難い。

 そのサンマロの城壁に登り、空気の透明度の高い日に沖合を見ればイギリスが見えるという。もちろんグレートブリテン島など見えるわけがないが、フランスのすぐ横にイギリス領の島があるのである。正直に言えばそれでも流石に遠すぎると思うのだが、知人は邪魔だと言わんばかりに説明しようとする。その島に今、イギリス海軍が軍艦を派遣している。フランス漁船への牽制だが、元はと言えばBrexitである。最も近いところでフランスから20キロほどしかなく、フランスからの電力供給に頼る島の行方は、ブルターニュの隣のノルマンディーに任せておいた方が良さそうだ。
 さて、ノルマンディはブルターニュに相対するフランス側にあるわけだが、この両者の間にあるのがモン・サン・ミシェルである。モン・サン・ミシェルは、行政的にはノルマンディにあることになっている。両者を隔てるのはクエノン川。だが、どうしたことかモン・サン・ミシェルの直前で県境は折れ曲がり、モン・サン・ミシェルがノルマンディにあることを主張する。「あれは本当はブルターニュにあったのだよ」という人も少なからずいるわけである。そのためなのか、単に商売上の話なのかは知らないが、観光用駐車場のレストランには、ブルターニュの料理とノルマンディの料理が両方用意されている。

 まぁ、どちらでも良いではないか。シードルとガレットとクイニーアマンとファーブルトンと牛乳の国は、素朴な美しさに満ちているのである。


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