

いつものように静かな午前中のひと時、そぞろ歩きする誰かが静かに進めるチェスのように見えた。

切り取られたファインダ映像はまるで国旗のようだった。

その手摺は今日を美しい過去と輝かしい明日に隔てる。

物憂げな午後の光が曖昧さを作り出す

その湊の裏側は仕事場でもある。

その街は過去の時間が今と行きあうミネストローネ。

街の喧騒から離れて自分の時間がそのエネルギーとつながっていることに気付く。

その公園はいつも都会の地平線の一部である。それが人生の一部でありさえすれば。

横浜の明日には苦しくも喜びあふれる過ぎた時間が積み重なっている。





