Bonne journée, Photo

Garden City

201804-111

ガーデンシティという言い方がある。ハワードが提唱した計画都市の概念を指す言葉であり、田園調布はまさにそんな街なのだが、それとは別に、公園のような緑の街を(日本語では)広くそう呼んでいる。カナダのビクトリアはその代表例でありカナダ旅行のパンフレットを見れば必ず写真が載っている。海を挟んで反対側のバンクーバーもまた公園のような街であり、花にあふれた都会の風景をゆっくりと歩けば、いつのまにか海と緑の公園に入り込む。特にスタンレーパークは旅行者にとっても人気の場所となっている。
横浜はそのバンクーバーの姉妹都市である。昔からの観光地でもある山下公園や港の見える丘公園はもちろん、関内周辺もヨーロッパのような石の街並みと大きな木が続き、晴れた日の散歩はことのほか気持ちが良い。このあたりのエリアは4月が特にお気に入りである。桜並木は桜木町に任せ、どちらかといえば新緑とチューリップを楽しむのが良い。プロ野球の開幕シーズンという事もあって、試合のある日はブルーに染まるが、普段は近所の人の犬の散歩コースだったりする。

今、横浜では昨年に続き「ガーデンネックレス」というイベント中である。これまでのチューリップ祭りと何が違うのかという疑問はさておき、いつも以上に花にあふれた横浜公園と日本大通りが、どこまでも横浜らしい風景を演出している。さらに、Greater Yokohamaとでも呼べそうな郊外にあるズーラシアの隣にも、里山ガーデンなる会場に巨大な花壇が用意されている。晴れた日にゆっくりと散歩する場所には事欠かない。これからバラの季節まで、どこに行くかではなく、どうやって時間を作るかが悩みどころである。

201804-116

Art, Bonne journée

Yokohama Triennale 2017

201709-111

ヴァンクーヴァー美術館の照明の落とされた隅の部屋で見た Janet Cardiff & George Bures Miller the Killing Machine はボタンを押すのにひどく勇気のいる作品だった。その互いの姿もはっきりとはしない他人同士がたまたま同じ場所と時間を共有しながら、いつか不安までも共有する共犯者であるかのように静かに息を殺す深淵へと落ちていく時間は、早くそれを終えて抜け出したくなる程に永遠とも思われた。光と音が交錯する器械はコンテンポラリーアートの典型的な手法のひとつではあろうが、そこにそれがあるという存在感ゆえに逃れられない現実となってアートという特別な今を超える。

201709-112ヨコハマトリエンナーレの会場のひとつである赤レンガ倉庫で案外空いている午前中のゆっくりとしたひと時を過ごしながら、久しぶりにその不思議な現実感を味わった。かつて山下埠頭で開催された時(2005年)のダイナミックとも形容できそうな巨大な仕掛けと較べればずっと洗練されてはいるが、あの時もどきどきするような現実感を感じたように、今回もどこか頭の隅で警告が鳴るような感覚を覚えた。The Killing Machineにも共通するそれが何かはわからない。ただひとつ、そこにある現実感だけは共通して感じている。
ヨコハマトリエンナーレでは、必ず自分がアートの中に紛れ込む。コンテンポラリーアートには映像のみの作品やオブジェを単に楽しむものも多いが、これだけの規模にもなればインスタレーションの現場に居合わせることもアートの中に入り込める作品も多い。かつて原寸大サッカーゲームで遊んだように、今回も作品の一部になって楽しめるものも少なからずある。
だからコンテンポラリーアートはやめられないのだ。

Bonne journée, Books

読書

 

201702-312

「平日は目の回るほど忙しいので、読書はかけがえのない趣味です」と言う人がいる。きっと素晴らしい週末を過ごしているに違いない。ほっとする週末に、カーテンや木々の隙間からもれる柔らかな日射しのなかで、いつもの場所とは異なるどこかへのドアを開けるのは、至極簡単なことだ。本を開くだけで良い。ブラームスのレクイエムでも聞きながら指環物語を繰れば黒い影がまとわりつき、深煎りのコーヒーを飲みながらサガンを開けば少しだけ懐かしい時代のフランスがあらわれる。

「読書は脳の食事です」と言う人がいる。ガツガツと音を立てて読む姿をなんとなく想像するが、実際はゆったりと豊かな人生を歩んでいるに違いない。通勤電車の揺れる車内でさっとkindleを取り出し、その少し指紋に汚れたスクリーンに新しい自分の影がかすかに落ちる。やがて降りる駅のアナウンスが聞こえてくる頃には、脳のどこかに次の読書のアイデアが生まれ、飲み込んだ文字はすでにエネルギーとなっている。読書は欠くことのできない生活の一部だ。

自分にとってはどうかと自問すれば様々な答えが出てくるが、ひとつ加えるなら、読書は身嗜みである。本を読まずとも生きていくことはもちろんできる。それでも読書は無くせない。

今日の写真は横浜港。東京都庭園美術館での読書に憧れるが、横浜港周辺での読書も悪くないに違いない。

201702-311

Photo, photo challenge

Weekly Photo Challenge: Edge

201609-201

It is moored at the edge of the Yamashita park of Yokohama indefinitely. Her name is Hikawa-maru and it was an ocean liner of the north pacific lane from Yokohama to Seattle. In WW-2, she was used as a hospital ship and hit a floating mine but she went back to Japan. Her last voyage was done in 1960. I could say she has been always on the edge of the history.

I hope you could find some her beautiful edge of shape in pictures.

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In response to the weekly photo challenge, Edge by The Daily Post.

201609-202

Bonne journée, Photo, photo panoramique

Humid evening

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English text at bottom

裂けてスポンジがむき出しになった孤独なベージュのシート
踏みつけられるごとに規則正しい悲鳴をあげる義務感に追われたペダル
すっかり刈り取られたはずの蔦が再び物憂げな空を見上げる石壁
灰色の雨と青緑色の雨の合間に息を吐くエンジン

繰り返し通り抜ける路地にいつまでも警戒し続ける猫と
繰り返し重い足を持ち上げる階段に猫を探す夕暮れ
湿った夏草の匂いもまた夕餉までの渇きの一部をなし
湿ったシャツの襟元もまた1日の終わりを示す

Here comes the hot and humid night in Yokohama. It’s still in the rainy season and I need to find a better way to sleep well every night. Sometimes I wonder if it would take decades before I supposed to be able to get my own nights but, of course, I know it’s just a kind of exaggerated sigh.

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