(This article was written in Japanese)
前回、文章が長すぎたので2回に分けた後編。前編はこちら。
さて、その翌々日。少し遅めのランチへと再びフランス人と外に出た。どこまでも透明な空気はカラッと乾燥し、さらに空は青く、強烈な日差しに痛みを感じながらなんとなく件のサンドウィッチ屋の方に向かう。気付けばもうひとり一緒になり、さらにひとり増え、やがて自分以外はフランス語を話しているのだった。知り合いのフランス人がこれはいかんと皆を紹介してはくれたものの、結局は会話はフランス語に落ち着いた。だから、どういったわけでサンドウィッチ屋の手前で道を逸れメキシコ料理に向かう事になったのかはわからない。ただ気付けばタコス屋に皆が入って行く。
西海岸でタコス屋と言えば手軽で安い典型である。初めてのロサンゼルス空港でタコスを食べようしたら、隣のマックは長蛇の列だというのにタコス屋は誰一人いなくて不安になったことがあるが、あれはきっとアメリカ人の少ない時間帯であったからで、本来はマック並みには人が入るものである。日本で言ったらラーメン屋か牛丼屋くらいに庶民派だ。少なくともそう勝手に思っている。だから、昼に手軽に食べるなら悪くない。ところが、前日の夜も豪華なディナーと言うわけでもなく、もう少しそれらしい食事がしたいと思っていたから、ホントはタコス屋よりは歩いて5分ほどのカリフォルニアスタイルのレストランにでも行きたいところだった。2日続けてサンドウィッチ屋というのもなんだが、前日が牛丼屋で今日がラーメン屋くらいのお手軽さには少々飽きていたのだ。店を替えるなら他にあるだろう。
気がつけば、昼食も夕食も、もう4日も建物の中で食事をしていないのだった。もちろんキャンプしていたわけではない。どこまでも深い青空の下、爽やかな外のテーブルのゆったりとした環境で食事をしていたのだから、不平をもらすような状況ではない。風が冷たく日差しが少しばかり強いことに文句を言う輩はまれにいるだろうが、多くの人が羨むような環境と言うべきだろう。それでも、4日も外だとたまには屋内が良い。
2日目であったか、会議でだいぶ遅くなった夜にホテルのレストランで軽く食事でもしようとロビーに向かったのだが、レストラン前のバーカウンターにはすっかりリラックスした数人が、赤や青の間接照明がグラスを輝かせる中、1日の終わりのひとときを思い出深くすべく歓談しているところだった。天井近くのディスプレイにはバスケットボールの試合が映され、アコースティックなロックが周囲を包み込んだ。カトラリーの金属音はむしろその場の雰囲気を盛り上げるための効果音であって、さほど離れていないレセプションも舞台装置の一部となった。そのカウンターとレセプションの間にレストランへとつながるドアはあった。食事には遅い時間だったが何かしら食べるものはあるだろうし、ガラス戸の向こうにはランプが揺らぎ、笑い声も聞こえていた。ライトがガラスに反射してよく見えなかったが、確かに大きなテーブルには5、6人がディナーの最中なのだろう、楽しそうに歓談しているようだった。その向こうをウエイターが通り過ぎて行くのが見える。ひとりだがここで食事でもしよう。そう思ってドアに手をかけた。照明の落とされた落ち着いた空間がガラス越しに見える。テーブルにはランプの揺らめく灯り。そうして、1/3ほどドアを開けた時にふと気付いたのだった。それは、外への扉だったのだと。レストランなど存在していなかった。食事も供するバーがあって、その外にあるテーブルへの出口があっただけなのだ。ランプの置かれた丸テーブルは夜の湿った冷気に包まれながら、その向こうの歩道とホテルを曖昧に切り分けていた。
空腹であればあまり細かいことは気にせず手近なところで食事が出来ればそれで良い、そのレストランの幻影を見た夜と同じようにそんな面倒臭さもあったが、皆が入って行くタコス屋で十分という気にはなっていた。そして少なくともタコス屋にはかろうじて屋根があった。しっかりとビルの1階にあるという点では「かろうじて」という表現は正しくないかもしれないが、例によって、開け放たれたドアは強烈な日差しの降り注ぐ外を区別しようとはしなかった。ともかくやけに背の高いその入り口近くのテーブルで日差しを避けながら、しっかりと夜の分も食事をしておきたかった。その夜は、またしても10時過ぎまで打ち合わせであろうことは、想像に難くない。であればせめて肉と野菜を胃に入れておきたい。そう思っていた。
ところが、いざメニューを見ながらその肉と野菜を選ぼうとすれば、それがどんなものかさっぱり分からない。近くで食べている人を盗み見たところで、ラップされているタコスは中身がよくわからない。
「おまえ、タコスは詳しいか?」
「知るわけないだろう。」
それはそうだ。フランスのタコス屋はフランス語で、日本のタコス屋は日本語で説明されている。しかも、セットで5ドルである。それならいっそ、少しボリューム感のあるブリトーがいい。そうだ、ブリトーならきっと肉もしっかり入っているし、ボリュームもそこそこある。9ドルならそれなりに満足するだろう。そういえば、カリフォルニア・ブリトーなるものが流行りだったのではないか。
もはやそれが何であったか忘れたが、ともかくそれらしいブリトーを頼んで止まり木を確保した。会話はフランス語のままだったし、英語であっても仕事以外にあまり共通の話題もない。ぼんやりと外を見ながら、時折気を遣って英語が混じる会話に曖昧に参加する。先にタコスをオーダーしたフランス人は、はやくも半分を平らげた。程なくして、カウンターの奥と何やら意味不明な会話を大声でしながら、そのブリトーは運ばれて来た。給食のトレイにようやく収まるかどうかのそれは、小さな枕ほどの大きさでずっしりと重かった。やれやれ。タコスにしておけばよかった。
CaliforniaのMexican foodが懐かしくなりました。😩
その土地の食べ物というのは、生活の中で栄養だけでなく時間や文化を吸収するものなのでしょうね。懐かしさを感じられるってどこか幸せです。
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